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テーマ:日本の歴史(1070)
カテゴリ:古代史レポート
ちっとお金が入ったんで、 買っちまいました♪ 芋焼酎ッス♪ 宮崎モンってとこが気に入らんですがね、 結構旨かったす。
「あんた、よくそんなモン買うお金あるじゃん!」 きゃー! 「カンベンしてつかーさい・・・ ちゃんと洗いモンしますからぁ・・・」
ちゅーことで、相変わらず台所に立つ、 素盞嗚君でぷ。
こんなモンでも・・・
こんな風に整理して・・・
お湯も節約♪
じゃーん! 最近は楽しく洗いモンやってます♪
えーと、予告していた神籠石いってみます。 これ、何って読むかってーと、 「こうごいし」って読みます。 昔から地元でこう呼ばれていたみたいだけど、 おそらく神籠石は当て字でしょうな。 んで、神籠石って何だよ? ・・・ 神籠石ってーのは日本の古代史を 語る上で、実に重要な遺跡であるにもかかわらず、 あんまり知られていないんです。 これね、調べれば調べるほど、 古代史の通説が崩れちゃうからなんでしょうな。
んで、神籠石って何だよ!? ・・・・・ まず写真を見てくんさい。 こいつはその一部なんだけど、 古代、6~7世紀に作られた 「山城群」のことなんです。 現在、確か16ヶ所が確認させていたと思うけど、 四国に2ヶ所、 山口に1ヶ所、岡山に2ヶ所、兵庫に1ヶ所。 他10ヶ所は九州北部に集中してるんです。 全部じゃないけどこんな感じです。 かつてこの建造物が、 霊域なのか山城なのか、 という論争が展開されたんですが、 結局は山城であったことが判明されたんです。 しかーし、 山城であったのなら、 問題は次の2点だ。 1.中心領域はどこか? 2.仮想敵国はどこか? この神籠石山城群の築造は6~7世紀。 この時代の中心権力はどこにあったか? 通説では近畿ですよね。 仮想敵国はどこか? この時代から想像できるのは、 当然、新羅と唐ですね。 562年に任那日本府が滅亡してるし、 661年には白村江の戦いがありましたからね。
山城を築造する目的は、 仮想敵国から中心領域を守ることにある。 であるならば、天皇家率いる大和朝廷が 唐・新羅を仮想敵国として、 これら山城を九州中心に築造したのだろうか?
ここでもう一つ不審があるんです。 これら壮大な一大山城群の築造にあたって、 当然日本書記にその記述があってしかるべきなのに、 それは一切ない・・・・ これはいったいどうしたことなのか・・・・
長らく素盞嗚の日本古代史に お付合いしてもらってる方は、 もうお判りかと思いますが、 これ、大和じゃなくて、九州倭国としか 考えられませんね。 6世紀の後半、中国南朝への朝貢を止め、 自ら天子を名乗った倭国王。 当然、中国は快く思っていなかったはずですね。 そこで倭国はその中心領域であった 筑紫大宰府(都督府)を守るように 一大山城を築造していったんです。 しかーし、ちょっと待て! じゃー、四国や山口の神籠石山城は? そんな声が聞こえてきますな。 よろしい! では答えよう♪
・・・・・・ え? 早く仕事しろ? ・・・・ はーい・・・・ ちゅーことで、次回に続くぅ! SEE YOU NEXT TIME お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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