琵琶湖の悲劇2
横浜は曙町。プータローの楽園。そこに「地獄らーめん」があります。初級・中級・上級・極上級1・2・3とある。素盞嗚君は大体中級を喰います。まー、それでもかなり辛い。昨日そこで「中級大盛りぃ♪」メンが茹で上がるのをワクワクしながら待ってたら、作業服のにーちゃんが隣に座った。「極上級の3ね」「・・・・・」どんなんが出てくるのか・・・・一度上級を喰ったことはあるけど、それでも咳き込むぐらいに辛いのに・・・・「へい、お待ち!」「・・・・・」真っ赤ッス・・・・ とてもらーめんじゃおまへん。そのにーちゃん、さらにおろしニンニクを1杯、2杯、3杯・・・・真っ赤なスープの上に山盛りになるほど入れて・・・幸せそーに喰っとりました。今度挑戦したる!そう決意した素盞嗚君でした♪ さて、人麻呂の「ささみなの歌」。人麻呂の目の奥に移った風景は「第2次近江京」の大友皇子の悲劇ではなく、景行・成務・仲哀の「第1次近江京」の悲劇ではないのか。長歌からはそう判断せざるを得ない。ではその悲劇とは?ちなみに景行天皇の時代ってーのはヤマトタケルが活躍した時代です。実在の人物じゃないと思いますが・・・んで仲哀天皇。この男近江を離れて九州征伐に向かうんです。そしてその地に没する。その死因について書紀には戦死と書かれてるんですが、古事記では神がかり的な異様な死を伝えてます。しかーし、仲哀の真の悲劇は彼の没後にあるんです。仲哀は九州遠征に行く時、近江の都に正妃「大中津比売(おほなかつひめ)」の太子「香坂(かごさか)王」と次子「忍熊(おしくま)王」を残して行ったんです。そして遠征には次妃「息長帯比売(おきながたらしひめ)」(神功皇后)と参謀の武内宿禰を連れて行ったんです。この状況で仲哀は謎の死を遂げた。神功はその後九州を治め、新羅も征伐して、九州に戻って「品陀和気(ほむだわけ)」(後の応神天皇)を生むんです。そして近江に凱旋・・・・と思いきや!遠征軍の「神功・応神・武内」軍は、近江に対して牙を剥いたんです。権力の正当性から言えば、近江に残った香坂王・忍熊王が当然正当の王者なので、神功たちは実に反乱軍になったわけです。そしてその決戦の地は・・・記紀ともに「ささなみ」と伝えている・・・決戦の結末は反乱軍の勝利。正規軍は背走した。琵琶湖の西端、大津まで逃げ、船で「近江京」を目指した。しかし間に合わなかった。湖辺の船は追ってにさえぎられて忍熊王たちは哀れ湖底に沈んだのである。しかし神功の参謀、武内宿禰はこれだけで満足しなかった。 「ねー、昼のコロッケ買ってくるんじゃなかったの!」嫁素盞嗚が叫ぶ・・・・車で30分ぐらいかかるんだけど、葉山に美味しいコロッケ屋があるんです♪「早く行きなさいよ、 午後からのソフトに間に合わないよ!」「・・・・・」うっちぇーババァ、うっちぇーババァ・・・・SEE YOU NEXT TIME