飛鳥時代の真実5
やっぱり書かずにいられない・・・でも遅いんで今日は古代史だけにします。「聖徳太子」の四天王寺建立説話について、日本書紀と金剛組の伝承とで話しに矛盾がありました。素盞嗚氏は金剛組の伝承が正しいのではないか、そう信じてみました。ではこの矛盾をどう解くか?まず疑ってみたのは、「聖徳太子」という名前です。日本書紀をもう一度読み返してみました。「聖徳太子」が生存していた約50年間の記事を隅から隅まで読み返してみました。・・・・・思った通りです。「聖徳太子」という文字は本文に1回たりとも出てこないんです。大半は「厩戸皇子」か「皇太子」としか記載されてないんです。もう一度言います。日本書紀には「聖徳太子」という言葉は1回も使われていないんです。書紀編纂の720年には、厩戸皇子を聖徳太子と認識していなかった可能性があるんですね。驚愕の推論です。では聖徳太子と呼ばれたのは誰だったのか?ヒントとなったのは「聖徳太子」の没年記事でした。太子の死亡日時は2つの説があるんです。書紀編纂の約100年前のことです。たかだか100年前のことで、これだけ有名になった人物の没年を書紀編者は間違えるでしょうか?こんな疑問から2つの異なった没年を調べてみました。なるほど、見えてきました!次回、その内容をお話します。SEE YOU NEXT TIME