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テーマ:海外生活(7777)
カテゴリ:About Me
友人に薦められてブログを始めて9日経った。日記はあまりつけたことがないので続かないだろうと思っていたが結構がんばっている自分にびっくりしている。
ここ3年間は仕事の関係でライターのようなキャリアで日本語をつかう機会がまったく無い毎日。楽天ブログは日本語の練習にもなり、そしてセラピーにもなるというコトに気が付いた。書いたものを読み返してそう思う。 さて、年末にさしかかり一年を振り返って思うことがある。私は「隠れジャパニーズ」なのだろうか。ピュア・ジャパニーズではないが、主に東京で育った私。習慣、文化は日本が身近である。国際結婚した私の両親だが、母は結婚した当初かなり苦労していた。子供の私にいつも辛そうことを言っていた。慶應を出た父はエリートの友人に囲まれ、結婚直前まで「なぜ日本人と結婚しないんだ」や「日本女性じゃ足りないのか」など彼女の前でそんなコトを言われていたとか。私にしては父の友人達はみんな朗らかで楽しい人たちと思っているが、まさかそんな酷なコトを言う人たちだとは想像できない。でも彼女がウソを言う理由もない。国際結婚に対する当時の人々の偏見が伺われる。 私が「隠れジャパニーズ」だと最近思う理由はきっと母の私の幼いころの日本人に対する憤りからくるものかと思う。当時あまりサポートの無い母は孤独だったのだろう。私にはアメリカがなんでも優れていることを聞かされていたような気がする。 そして小学・中学とアメリカ人の母がいるといって友達にちやほやされ、群らがわれた。クラスの男の子たちも母が「ハロー」と出るのを期待して電話をしてきたり。(思い返したら私はユーズされていたのね!) いじめの反対である。英語のクラスではもちろん先生に発音がきれいだからとテキストを読まされ、出たくない英語劇にも出させられた。恥ずかしかったチアリーダーだってクラスの皆に勝手に推薦されやらされてしまった。当時は目立ちたくないから母には人前では「わざとらしく」英語を使わないでくれ、と言っていた私であった。彼女の場合「わざとらしく」ではなく、自然だったのだが。父も父で、サラリーマンを父兄にもつクラスメートとまったく違い、自営業だが取締役のくせして五本指ソックスを履いてサンダルで授業参観にきたり。恥ずかしいばかりであった! (今は男の★ロマン★を生き抜いている父に憧れている私であるが) 注:父は山男であり、ヒマラヤマラソン・テレマークスキー・登山など暇をつくっては遊んでいる。 現在は、結婚して子供もいる私は、日本文化と習慣を娘たちにも継いでほしいのだが、なぜか日本語を話せない。外国で子供を育てる母親は自分の国の言葉をつかい、こどもがバイリンガル、もしくはマルチリンガルが多い。私の場合、英語を聞いて育ったためなのか、自分の国や言葉が日本・日本語という自覚がないのか。私の母のせいにするわけでもないが、家庭で使う言葉には英語の方が愛情の表現がしやすいとも思う。なかなか日本語が使えないのである。使うのは子供に分からないように暗号のように夫と会話する時。情けないと思っているし、反省もしている。 その上、いま住んでいる周辺には日本人が非常に少ない。だがたまに日本人とすれ違ったりすると私は目立たないようにしているような気がする。(まあ、すれ違ったからといってわざわざ日本語で話しかけた方が変態だと思われそうだ。) ロックヴィルの食品店のマルイチさんに買い物する時や、1階にある唯一の日本食のカフェ「てまり」で食べる時に限ってなぜかウキウキしているのだが。 なので、2005年にはもっと努力したいと思う。日本語で書く練習することはもちろん、子供たちにももっと日本文化を身近にできるよう、行事などに参加したいとおもう。今年の七五三は機会を逃してしまったが (ワシントンでは行われず、ニューヨークの天理教の主催で行われる)、来年はニューヨークにいき、お祝いをするつもりである。長女は8才になってしまっているが、次女はちょうど3才でキキワケが良くなっているハズ・・・。 唯一、日本文化で欠かせないお正月のお節料理やひなまつりはなぜか頑張っている私だが、ほかの行事も意識して生活する様にしたい。そして、末娘がもっと言うことをきくようになったら (いつの話?!) 長いフライトを我慢して日本を訪れたいと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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