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Chesapeake's ワシントニアン日記

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2005年01月20日
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カテゴリ:About Me
aaronrickloveさんの日記を先に読んだので自分のなかで静かに燃えているものについて書こうと思う。

バイリンガル育児でお悩みの方が結構いらっしゃる様で、ここでひとつ体験談、そして私自身の悩みも述べて行きたい。

【まず、体験談】
私は国際結婚した親を持つ。
3人姉妹の長女であり、東京の○X家でも一番年上である。

ハワイから東京に嫁いだ母はもちろん英語がメインで、子育てはすべて英語であった。保育園に行きだすまで、私は英語だけ喋っていた。ここまでは誰でも同じであろう。(外国語の交流がなければ母国語/Mother Tongueしか喋らないはず)

保育園に行きだしてからは、やはりこれも一般と殆んど同じで先生とお友だちが喋る言葉・日本語「しか」喋らなくなった。大きくなるにつれ、母の喋る英語には日本語で答えるようになる。聴く力はもちろんあるが、読み書きや会話ができない。

ただ、妹2人にない才能が私にはあったようだ。それは3人の中で一番音感があった。音感があると悟った母は私にピアノレッスンを始めさせた。耳が発達しており、音符を読もうとしなかったヒトクセある生徒であったのだが(!)、少し頑張ればすぐ演奏できるようになった。ただタラタラと弾き通しているのと違い、ちゃんと微妙な強弱・アクセント・ニュアンスも想像している通りを弾いていた。

ピアノの先生もピアノの鍵盤のどれを弾いても私が音を当ててしまうので、レッスンのある度に聴覚レッスンもした。

父が毎朝シンフォニーやらピアノ・コンチェルトを朝食中に流すのも効いたのか、登校中私はクラシックばかり口津さんでいた。

音感=発達した聴覚=外国語を習う。(順番はこの通りでなくても良いと思う)
私が妹達よりずっと早く英語をマスターできたのは、きっとこの理由からくると確信している。

[注:あくまでも音感/リズム感に優れていたわけで、天才ピアニストまでには至りませんでした。もしそうであったなら今頃はコンサートピアニストで活躍しているはず。。]

良い例としてひとつ挙げる。中学で初めて英語という科目がでた当時。母がESLの修士号をとるため、私が中3、妹達がそれぞれ小6、小2の時にハワイに戻り、転校した。

年齢から行けば私が一番苦労するはず。日本で習う英語は「This is a map. This is a pen.」から始まるわけだから、それを2年間やってもアメリカの高校に追い付くわけがない。小学校へ入った妹達もなかなか馴染めずしばらく全員苦労していた。

でも、もとからハーフでコンプレックスのある私は馴染みたいし、「日本人」というレベルを張られたくなかった。ジャパニーズ訛りを隠し、勉強も頑張った。

幸い、ポピュラーな子たちが受け入れてくれ、私もそれなりにハイスクール生活を送れた。母がアメリカ人であり、英語教師であったことも超プラスであり、成績も1年半で帰国するまでに絶好調であった。

妹達はそうラッキーでなく、真ん中の妹は音感が比較的鈍く、英語の発音もなかなかつかめないままであったし、下の妹は読書狂だったので読み書きは抜群、成績はよかったが、発音もまだこの時点ではイマイチであった。(現在は末妹はハーバード大学を卒業し、東京で仕事中)

音感・聴覚というものを育めば、かなり良い線までいけるもう一つの理由。
それは、高校まで日本語しか話さなかった私は、ハワイの高校からハワイ大学に至るまでフランス語も習った。2つ習ったら3つ目も勢いで習える。今はそうでもないが、一時はトライリンガルであった。

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[ハワイの友人のレスのおかげで書き忘れていたことがあったので付け足しました]
医学雑誌で数年前に記事になったのだが、音楽教育で脳を刺激された子供は数学や言語に強くなる、とある。

私はそれを通り越して、音楽教育はもちろん、「音感」があればもっと有利だと思う。何しろ、言葉を習うのにはアクセント (インフレクション・プラス・イントネーション)を自分のモノにしなければならないからだ。ここでいう「バイリンガル」は読み書きはもちろん、いかに自然に会話が出来るかということもある。
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脳というものは面白いもので、今まで経験してきたものは忘れていたと思っても、ちゃんと刺激さえあれば再現できるのである。だから幼いころから聴いていた英語は1年半内で身につき、フランス語も覚えやすかったのだ。要するに、今子供が喋らなくてもちゃんと耳が聴いているはず。話していれば子供はしっかり記憶するのだ。

【バイリンガルであるゆえの悩み】
長くなって申し訳ないのだが、体験談からいくと、私自身なんの問題もなくバイリンガル育児に挑戦できるだろうと思われる方がいるだろう。

ところが、上に書いたようにそうスムーズに行かないことに気づいた。
●心理的問題 ─ 子供に話す言葉・母国語というものが日本語でない私。日本語しか 喋らなかった子供時代だったが、自分の脳には「英語」がくっきりと母の喋る言語だとプログラムされている。きっとこの理由で自分の娘たちになぜか日本語を話すことが出来ない。単語は使うが、一日中ベラベラと話せない。日本語に子供に託す愛情を感じないのだ。

●器用貧乏である自分 ─ あれもこれもとしてしまうのは言語から始まり、音楽・美術・科学・ビジネスなどに対する興味。この人生でひとつの事だけにコダワルということが恐ろしいのである。このまま腐ってしまうのではないか。こんな自分が子供に一直線な道を歩ませることができるだろうか。(貧乏ではないが、何かに大成功してお金持ちになったこともない。どれもいい線まではいくのだが、飽きてしまうものもたまにある)

●キャリアについて ─ 興味とは別のキャリア。バイリンガル、そしてある時点ではトライリンガルであるため、仕事はどうしようかとても迷った。母の例から行けば、末妹と同じように日本でどこかの大学で英語を教えること。バイリンガルで得をするキャリアは他にもある。スチュワーデス、国際ビジネス、通訳、等など。小さいころ、母は我が家を訪ねるスチュワーデスさん達にプライベートで英語レッスンしていた。(ここらへんは混乱していた: スチュワーデスになりたいのか、それとも彼女等をクライアントにしたいのか) 結局はピアノ演奏に進んだ。なぜなら幼いころからずっと切実に続けていた唯一の科目であったからだ。

●自分の存在・立場 ─ 日本とハワイの両方を故郷とする私には今いるメインランドは困惑するものである。2重国籍ではあるが、いままでの自分を見返してみると、メインランドには一応溶け込んでいるが、なかなかしっくりいかない。日本にいてもハワイにいてもやっぱり自分のどこかで「本当の自分はどこに存在するのだろうか」という考えが横切ることがあった。

こういうコンプレックスのそろった条件もあり、普段はハッピーに、そしてたまには持ち前の天然ボケを活かして(?)生活をしているのだが、自分の子供達の将来となると居ても立ってもいられなくなるのである。それはマルチリンガル・多国籍・多趣味・多文化の私の個人的な問題。。。

さて、体験談と悩みを述べたところでバイリンガル育児のための
ちょっとした★アドバイス★

母の実検台にされた自分の体験から行けば、ママが諦めずにしっかり子供に日本語を喋り、その子供の聴覚がしっかり育まれていれば、問題はないと確信している。今は英語でしか答えられない子もいるが、何かをきっかけに喋れるようになるはず。そのきっかけは私とは逆だが、日本の学校かアメリカなら日本語学校に入れたりすること。すこし苦労しても結果的には効果は絶対あるはず。子供の耳を発達させる為に音楽のレッスンもしっかりすること。

ここで一つお断り: 私自身はマルチリンガルだけでなく、多国籍、多文化という影響もあるので、この体験談と悩みは同じような環境に置かれた方達に最適だと思われる。

本日書いたことが少しでもお役に立てたら幸いです。ここに書くことによって自分の問題もすこしまとまり、解決できればもっとグッドかな。

Just the 2 of Us

Caitlyn & Kiki (2002)





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Last updated  2005年01月22日 01時02分31秒
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