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カテゴリ:About Me
今日はブログに度々登場する私の友人達の紹介。
私にとって親友とは、何処にいても心が通い合い、時が経ち、場所を離れ、 人生の分かれ道で違う方角へ行ってもお互いの心が確かめ合える人。 人によって親友という意味は様々だが、私は心が通い合うが、だからといって 思ったことをずけずけ言ったりはしない主義なので、心が許しあっているということにはならないのかも知れない。(こればかりは言葉の違いだろうか) いままで生きてきていて本当に親友だと言えるのは(家族のメンバー抜かして)数人しかいないだろう。 でも、それには良い理由があるとも言える。 【小学時代】 お財布・迷子事件でかなりネタになってしまった東京の親友。 彼女とは小学4年の時にクラスメートを通して出会った。 クラスは違ったが、意気投合し、以来ずっと親友だといえる。 高校・大学時代はまるで別々の人生を送り、音信が跡絶えた。 再会したのは彼女からのハガキであり、かつての彼氏の仕事に付き合った際、 私の実家・九段にいることに気づき、押し掛けて妹に私の住所をもらったのが きっかけ。再会した当時はもう喋りだしたら止らない始末。 2001年末にはお互いの不幸を嘆き合い、泣きながら慰め合い、一緒に切り抜けてきたと言える。彼女は仕事仕事で毎日が忙しい身だが、なにか幸せになれるきっかけが出来るといいな、と思っている。 【中学時代】 特に一定の親友は居なかった。浅く広く、という世代だったのだろう。 新しい学校でチヤホヤされ、ポピュラーなステイタスを気に入っていた。 受験校というレベルの偏差値の高い学校だったため、出来る順から5つのクラスに分けられ(220名を5クラスにAからE組)、朝学というものがあった。当然、部活や朝学で一緒のクラスメートと行動する。幸いなことに、成績の良し悪しは関係なく、私の中学は不良がほとんどいなかった。ビクビクせず、のびのびと勉強でき、スポーツにも挑めた。 【高校時代】 中学3年の一学期が終わった夏休みを区切りにハワイの高校に転校。 フレッシュマンをスキップし、ソフォモアに放り込まれたこともあり、 転校生としてしばらくギクシャク。ランゲージのギャップもあり、カジュアルに付き合える女の子たち位しかいなかった。 一年半後に東京のアメリカンスクールに転校。国際スクールは転校生が もっぱら。誰でもウェルカムなのでジュニアで帰国したが友だちが沢山できた。 浅く広くもあったが、唯一仲よくなったのが悪友リーラ。 リーラはタイ人とアメリカ人のハーフ。背丈も私と殆んど同じ。 その変わり、彼女はすごくヒョウキンで誰とでも気軽に話せる。 彼女は私以上にアクティブでエネルギーに満ち満ちていた。 私がチアリーダーなら、彼女は事実キャプテンそのものであった。 その上、彼女はなんとタイ王家の血をひく母を持ち、王子様が無くなった時は 護衛がついてタイまでお葬式にいった身分でもある。。。(彼女は実の子ではなく、今のご両親にアドプトされた) お母様はバンコクの郊外のどこかのヴィラを 所有する大富豪でもある。お父様もワシントン、イギリス、パリ、タイを飛び交うかなりの実業家。ドルもケタがいくつも違う次元で考える人だ。スコットも私もおそれ多いご両親だがリーラとはカップルで仲が良い。(実はスコットと付き合いだしたきっかけも彼女にある) なぜ悪友と言うのか。それはリーラほど度胸のある過激で大胆な友人はいないからである。彼女は不良ではなく、とても頭からしっかりしている人間だが、高校時代は本当に 危ない人達とも付き合い、遊んでいた。私は自由に生きている彼女が羨ましく、 よく一緒に六本木や渋谷に遊びにいった。厳しい母にはヒンシュクをかってばかりの私だったが、頭の裏では私たちは絶対大丈夫という確信があった。事実、私たちは麻薬等一切手を出さず、お互いにすでにボーイフレンドもいたので、変な人間に絡まれることもなかった。(注: アメリカンスクールの生徒はごく普通のヒトでも六本木や渋谷に遊びに繰り出すので驚かないで頂きたい) 私はアメリカンスクールでの成績はトップではなかったが、遊んでいながらやはり自分の立場を考え良い方ではあった。リーラは人の目を気にせず、自分流で生きていた。それがいつも眩しかった。 大学はハワイとマイアミとまったく別々の道に進んだが、お互いにワシントンに引っ越して来て、彼女に子供が出来てからは今まで以上に仲よくなったといえる。 彼女とならなんでも言い合える関係だと言えるだろう。その代わり、彼女のセンシティブな点には欠けるのがタマにキズであったりする。東京の親友とリーラを混ぜたら丁度良いかも知れない。 【大学時代】 ハワイ大学音楽部初日の声楽のクラスで出会ったルビー。 最初の印象は普通だったのだが、ピアノ演奏や楽典、色々とクラスが一緒だった ということもあり、次第に仲よくなっていった。 いつしかコンクールの準備のため等で寝泊まりで練習や勉強も一緒になる。 ジョセフ・ブロック氏、コンスタンス・キーン先生、アントン・クエルティ氏がハワイを訪れ、マスタークラスを行った時などに一緒にでたことも。 彼女がマスタークラスで力強く弾いたブラームスのラプソディーを非難された事が悔しく一人で練習室で泣いていたのを見て心を打たれた。一緒に抱き合って泣いた。彼女ほどテクニックが優れて何でもいとも簡単に弾きこなせる生徒はハワイ大学にはいなかったと私は思う。 ある時はピアノ・コンチェルトのコンクールでお互いを励まし合いながら競ったことも。でも、全然期待ハズレの生徒が入選した時にはお互いに残念ながらも視線を交わしたのは言うまでもない。コンクールというものは不思議なもので、 どんなに音感やテクニックに優れていても、その日その場に居合わせないとまったく結果が分からない。彼女とはそういったものを通り越した仲だった。 極めつけだったのは、大学3年の頃。同じ音楽部だが、大学院生でフルート奏者になぜか気にいられ、ストーカー行為に悩まされていた私。いつの間にかエスカレートし、私の生徒寮のアパートに結婚指輪が送られて来た。同封されていた手紙には「もし君が望むならルビーとも結婚してもいい」という文章が。 それを聞かされたルビーは恐怖のあまり泣き出してしまった。私のアパートの2戸隣のストーカーなのに(!)、私が彼女を慰める始末。問題のフルート奏者はスコットにも警察にも注意されていたのにも関わらず諦めの悪い奴だった。コンサートをひかえていた私は大学のセキュリティの送り迎えはもちろん、いつも後ろを気にしながら移動していた。ルビーも私をハワイカイの家に泊めてくれていた。 平和に見えてとにかく色々なにかとあった大学時代。一番輝いていた時代だったとも言える。書き出したらキリが無いのだが、一番身近で専攻、趣味、性格の似ていたルビー。結婚式のメイド・オブ・オナー(Maid of Honor)だった。 最近はハワイとワシントンとうんと離れ、彼女も結婚して子供が出来てからは忙しすぎるらしく連絡がほとんど無い。けれど、やはり親友ということもあるからだろうか。連絡がなくても今度逢うときにはまるでいつも逢っているかのように振る舞えるだろう。 【最後に】 一番お粗末にしがちな親友は世界でたった一人の夫・スコット。 高校3年からずっと一緒で大学時代は遠距離で離ればなれの生活だった。 考えてみたら、他の友人たちに見られる時間のギャップが無い。 一緒に人間として成長してきたとも言える。お互いの価値観、性格、 人間関係、そして心に思っていることを分かち合える。 結婚しているからくる安心感か、子供中心になりがちで、彼を無視して しまう時もある。そんな彼は結構一途に私を妻としてみてくれているのだ。 (男性には一途な方が多いような気がする) それを時にはうっとうしく思うことを反省しているのだが。 スコットとは今年で結婚10年目なのだが、知り合ってからは16年経っている。 そしてギャップもなく、ずっと16年間の過去を共にしていることになる。 歴史がある、ということ。 そして一緒に子供を育て、時には成功、挫折、苦労、悩みごとをシェアするという事。 それが本当の親友なのかも知れない。いえ、親友でなければいけないハズだと思える。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 長くなりました。私自身なぜ時代によって「親友」というものが 変化していくのか気になっていたのですが、考えてみたら、結局 私はいままでの親友は「真」の親友ではなく、その存在を埋めていたのは 実は夫のスコットだったということ。一緒に家族を築き上げ、同じ目標に 向けてこれから生きていくこと。これはどんな友人も分かち合えない事だと思います。 彼の存在を軽くみていた自分を反省し、もっと大切にしようと努力したいと思っています。 眠い頭で無理をしながら書いたので全然まとまりのない日記でした。(普段がお喋りだというコトも長い文章で分かるとも思いますが!) でも、色々な方のブログを読んだりして考えさせられていたトピックだったので 自分なりに書いてみました。 おやすみなさい・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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