御国が来ますように
「御国が来ますように」(マタイ6:9)「御国」とは何でしょう?実は、これは聖書で最も大事なメッセージです。「神の国」「天の御国」「天国」など様々な表現がありますが、あらわしているものはひとつ。それは、王が治める「王国」のこと。「王国」は、何もおとぎの国の話ではない。私たちの手の届かないような遠くの国の話でもない。それは、神さまが治めている場所、空間のことを言うのです。日本でも台湾でも、世界のどこにあっても、神さまが治めているところがあれば、そこはもう「神の国」なのです。そして真の神さまが治めるところには、平和、喜び、正義が溢れてくるのです。私たちは御国が「来ますように」と祈ります。御国を作り出せるようにとも、見つけ出せるようにとも祈りません。「来ますように」です。それは、神さまが与えて下さるものだからです。「神の国」は、どこにやって来るのでしょうか。ひとつは、「私の心」です。「私の心」に神さまという王様を迎え入れ、治めていただくときに、私たちの心には、喜びと平和、正義が溢れます。次に「教会」です。「主の祈り」は教会の交わりの中にある「私たち」の祈りです。教会も成長する神の国なのです。そして「世界」。神の国が、世界に広がり、悪しきものが打ち負かされ、真の平和と正義が打ち立てられていくように私たちは祈るのです。そう「祈る」とは、神さまに働いていただくことです。動いていただくのです。私たち身の回りの小さなことだけに、神さまを奔走させてないでしょうか。大きなことを祈ってみませんか?そう、「御国を来たらせたまえ!」と。(信仰もんどう79)<しつもん>「御国が来ますように」とはどういう意味ですか?<こたえ>これは、あなたの御言葉と御霊で私を支配して下さい。そして、いよいよあなたに従っていくことができるようにしてくださいという祈りです。さらには、あなたの教会を強くし、そこに救われる人を加えてくださいという祈りでもあります。そして、それはあなたに逆らうあらゆる力を滅ぼし、神の国を完成してくださいという祈りでもあるのです。<感想>「神の国」を自分で作り出そうとしていなかったか?神の国にある正義も平和も喜びも、私の中には、何一つないのに。「神の国」は、「来るもの」。祈り求めるときに、神は喜んで与えて下さる。私の心の中に。教会に。世界に。心から「神の国」を祈り求める者であろうと思った。