政治哲学研究会 論文紹介(児玉聡)
Sudhir Anand: Professor of Economics at the University of Oxford「なぜ健康の平等が重要か」、「誰と誰の間での健康の平等が重要か」について、厚生経済学の言葉で説明する。「何の平等か(inequality of what?)」:われわれは所得の不平等よりも、健康の不平等を回避すべき、より不寛容であるべきである(we should be more averse to, or les tolerant of,inequalities in health than inequalities in income.)。なぜなら、以下で説明するように、健康は特別な善(special good)であり、道具的価値とともに内在的価値も有しているのに対し、所得は道具的価値しか有していないからである。所得の不平等については、それをある程度まで認める経済学的な根拠がある。不平等が労働する誘因(incentive)となり、それが社会全体の富(ケーキ)を増大させる。富の増大は、課税や(ひょっとすると)トリクルダウン効果により、社会全体に利得をもたらす。それゆえ、平等が「効率」にある程度譲歩することが認められる。また、努力した人がより多くを稼ぐことは「値する(deserve)」とも考えられる。しかし、健康の不平等については、このような誘因効果は見られないため、所得に比べて不平等を正当化する根拠が弱い。そこでわれわれは、不平等な所得の分配より一層、不平等な健康分配を改善すべきという「特殊平等主義」(specific [in contrast to general]egalitarianism: James Tobin 1970)の立場を取る。1.1 なぜ健康は特別な善なのか(1)健康は個人の良き生を直接に構成する要素だから(it is directly constitutive of aperson's well-being.)。(2)健康によって人は行為者として機能できるから(it enables a person to function as an agent.)、すなわち自分で価値があると思う人生目標や人生計画を追求することが可能になるから。セン的(Sen 1985)に言えば、健康は、個人が「機能」するための基本的潜在能力に資する(health contributes to a person's basic capability tofunction)、つまり、自分で価値があると思う人生を選ぶのに資する。バーリン的(Berlin 1969)に言えば、健康の不平等は「積極的自由」の不平等であり、ロールズ的(Rawls 1971)あるいはダニエルズ的(Daniels 1985)に言えば、公平な機会均等の否定である。中略Amartya Sen:Lamont University Professor at Harvard University and Nobel Laureate中略2.2.4 健康の公正は、(所得やロールズが「基本財」と呼んだような)資源の分配の公正という考慮に含まれるのではないか。結局のところ、経済的・社会的資源が各人の健康状態を決めるのであるから、健康の公正の問題とは、資源あるいは「基本財」の分配の公正の問題に含まれるのではないか。個人の健康状態は、経済的・社会的要因だけではなく、個人的な障害、病気の罹りやすさ、特定地域の疫学的ハザード、気候変化の影響などにも影響を受けるため、健康の公正の適切な理論はこういった要因も考慮に入れなければならない。一般に、保健政策の策定においては、健康(およびそのための潜在能力や自由)の達成における平等と、健康資源(health resources)の分配における平等を区別する必要がある。後者はプロセスの考慮において重要になるが、公正一般および健康の公正において中心的課題となるのは前者である(ie. resources の分配よりも、capability の分配が重要)。以下略もっと詳しく読みたい方はコチラから。あぁ、私って...不平等の賜物。