白い花束
最近無性に白い花が欲しかった。昨日は花屋の前でシクラメンの鉢植えを延々と吟味。置きたい場所や家の感じからするとピンクとか赤が調度良いのにどーしても白が欲しくって結局頭と心が合意に至らず何も買わずに帰った。11月1日は「全ての聖者の日」でお墓参りの日。どうりで日持ちしそうな花が沢山仕入れてあるなぁ~なんて思いながら今日も花屋に足を運ぶ。シャンパン色の薔薇と白い薔薇が眼に入った。白を6本買い2本おまけに頂く。満足。8本の白い薔薇を花瓶に生けて留守番電話のメッセージを聞く。「藤原吉志子さんが亡くなりました。」と、母からだった。あぁどーりで白い花だった訳だ。1本を一輪挿しに生けお水を入れた湯飲みとお線香を立てた香炉と一緒に祭って(?)祈りを捧げた。この香炉は私が作った謎の陶器で何にするにも勝手が悪かったのでいつの間にかお線香の灰を溜め込んだ香炉(鉢?)になっていた。彼女との思い出のある作品なので今回初めて適役を与えられた香炉。藤原さんとは1993年からバルセローナ郊外の同じ小さな町で暮らしていた。住み慣れたマドリッドを離れ初めての一人&田舎暮らしそんな私がふらっと訪ねて行ける唯一の場所が彼女の元だった。夜型の我々は何でもなさそうな事をひたすら語り合っては夜な夜な笑っていた。当時の私はまだ人生の中を盲目で走ったり転んだり歩いたりつまずいたり堂々巡りをしている最中で思い上がってるくせにコンプレックス過多で先行きの分からない自分自身に苛付いてそれを社会のせいにした哲学的な言い訳をするトゲトゲしい餓鬼だった。なので、せっかくの御縁だし彼女から芸術の全てを吸収しよう!なんて素晴らしい発想は沸きもせずっつーか芸術関係に進むかも不確かだったしその上プライベートなのに仕事の話聞き出しちゃ悪いなんていらぬ遠慮もしてしまい今更バカバカ、私の馬鹿!と毎度お馴染みの後悔先に立たず。・・・とは言うもののまぁそれはそれで二人の付き合い方だった訳できっと当時は何を言われても分からなかっただろうなぁ~と悟る。今だって分かってる訳ではない。ただ、なんとなく、今彼女の作品を見ると彼女の訴えが遠くかすかに聞こえて来る様なそんな気がしないでもない様な...何も聞こえなかった頃より微妙な成長か。↑これは藤原さんが牛追い祭りで有名なパンプローナで個展をした時師匠と共に駈け付けた2003年の写真。そうそう、この時アタイはテレビのインタビューの通訳をしたのだったが芸術的専門用語がテンで分からず手に汗握った。そして来年のサラゴサ万博へ向けての個展でも色々お手伝いさせてもらう予定だった。あぁ、こーして見てるとまだ生きてると思えるね。魂は肉体を離れて生きてるね。よっちゃんフォーエバー!Solo quiero decirte graciasmiles de graciasmillones de graciaspor todo lo que has sido para mi.Te quiero siempre para siempre,y siempre te sentire junto a mi.Un beso fuerte de tu amigaChiyo