バイリンガル、という言葉を使うことに実はとても抵抗がある私です。
というのも
バイリンガル=優秀な、人より勝った、特別な、
というニュアンスがなんだかついて回ってくるじゃないですか。
なんか嫌なんですよね~。
バイリンガルの定義については教育学的、言語学的、文化的
な側面から研究や提言がなされており実際にはさまざまなので、
私独自のバイリンガルの定義をお伝えした上で、それを念頭に(私が書くものに対してはですが)置いてもらえれば幸いです。
バイリンガル bilingual
というのは
bi(二つの)
lingual (言語)からできている言葉で
二言語話者というのが基本です。
自転車がbicycle (二輪車)
であり、一輪車がunicycle
三輪車がtricycle
と同じルール
だから三言語話者になるとtrilingual となります。
このバイリンガルには当然
「優秀な」「人より勝った」なんて意味はないのですが、
バイリンガルな人たちが活躍するのを見て、そう感じていたり、学生時代英語をやってきたにもかかわらず「バイリンガル」ではない現実から、「きっと頭がいいに違いない」なんて思ったりするのかもしれません。
二言語を使用できさえすればいいのですから、世界中に優秀であるかないかにかかわらず、バイリンガルなんてたくさんいるわけで・・・英語とスペイン語 ドイツ語とフランス語 ポルトガル語と日本語など
移民であるとか国の位置関係、母国の言語がマイノリティーの場合、国際結婚の家庭の場合、などバイリンガルになる要素は頭とは関係ないのです。
ですからバイリンガルであることそのもには何の価値もなく、問題は二言語が使用できる自分を人生でどう生かすか、が重要であるわけです。
ではどこからがバイリンガルなのでしょうか。
私は第二言語(私の家庭の場合英語)を聞いて理解し、考えることができ、意思の疎通がはかれればバイリンガルと考えています。ペラペラである必要はありません。
第二言語である以上、使う目的やそこから先に求められるものも違うからです。
お父さんの国にすんでいるおばあちゃんと話をすることが大事な子だっています。
フランス語が母語でもドイツ語の大学に行きたければ、専門的な内容を理解できるほど第二言語であるドイツ語ができなければいけないですし。
努力と目的がかなり異なりますが、どちらにせよ、
「理解し」「考える」事ができなければ始まりません。
家庭でのバイリンガルへの取り組みの一番近い目標地点がここかもしれません。
日本で昨今ブームになっているような「バイリンガル育児」とはちょっと違うような気がしてならないのです。
私のかかわってきたバイリンガルな子ども達にいわゆる「バイリンガル育児」を通過してきたような子ども達はいません。英検2級を小学校低学年で合格できるとか、ハリーポッターを1年生で読んでしまうというような子ども達だけがバイリンガルだなんて思ったら間違いです。こういった優秀な子ども達はもっと小さいとき、2歳や3歳のときからその兆候が現れていて、親御さん方も励みになったのではないかと考えています。単語をあっという間に覚えてしまうとか、本を一冊まる暗記してしまうとか。すばらしい能力をお持ちで、またそれを生かしたいとお考えなんだと思います。そういった情報がネット上で公開されたり雑誌で取り上げられたりするので、余計に「バイリンガルな子どもにあこがる」といった現象を助長してしまい、自分の子ども達には「バイリンガルの兆し」を感じることができずに諦めたり、子どもを追い詰めてしまったり、という話を耳にします。
朗報です?
フツーの子ども達は英検を小学校の低学年で受けられません。
だって、高校生と一緒に試験会場でじっとしてられません。
問題をとく練習をやっても意味がわかりません。(英語は分かっていたとしても)
フツーの子どもはハリーポッターを低学年で読みません。
日本語の本だってあれだけの量になれば、通常高学年で読む本です。
しかも、物語の内容を楽しめるだけの精神年齢に達していません。
日本語で「がまくんとかえるくん」なら英語でも「Frog and Toad」です。
フツーのバイリンガルの子ども達は英語を話しません。
コミュニケーションとして考えると、一番自分の気持ちを伝えやすい言語で話すのが正常です。意味もなく、理由もなくペラペラ英語を話すことはありえないでしょう。ただし、どうしても必然があらわれると「仕方なく」英語を話すくらいです。
私が関わってきたバイリンガルの子ども達(30人くらいかな?)は特殊な子ども達ではありません。
地元の幼稚園、保育園、小学校に通い、学校の勉強もできればしたくなく、本も読んでもらったら嬉しいけど、自分でバリバリ読むわけでなく。お金の計算はできても算数のプリントは眠くなるし、遠足や運動会が大好きないたってフツーな子ども達です。違うのは家庭の中に英語の絵本があった、それだけなのです。
英語の絵本で言葉をたくさんココロにためてきた子達。
人から羨まれるように英語をペラペラ話したりしない子達。
英語が今話せることより、英語での世界を楽しめること。
そして色々想像を膨らませ、感じ、考える。
「妖精はいなけど、ドラゴンはいる」と真剣に語る子ども達のなんてかわいいことか。
食べ物のでてくる絵本がなにより好きな子ども達のなんて愛らしいことか。
日本語にはない英語の絵本の世界を今楽しめる、
それだけで充分じゃないですか。
バイリンガルである事が重要ではない、アイスクリームの絵に目を輝かせる、私の愛する子ども達がすらばしいと思える瞬間です。
将来 英語を自分の人生で生かしたい、と思えば資格試験も必要でしょう。
話すことも必要でしょう、素地は作った、そっから先は自分で開拓してね。
だって今大事なのはそこじゃないから。
ね?そうですよね。
フツーの子どもの英語が踊りだした瞬間
私の友人、由里子さんの息子パピー君になにが起きたのか!
引き続き 「パピー劇場」をお楽しみください。
マサミ