先月は3回しか更新しなかったことに他人に指摘されるまで気付かなかったデコです、
こんにちわ。
いやぁ、なんかネタなくてw それだけなんだけど一部で心配されてたようです。
度々訪問してくださってた方もいらっしゃったようで、、、申し訳ないっす。m(_ _)m
さて、頭脳系やら常識問題の番組ばっかりやたら増えたこの頃。
どれも同じような感じですっかりうんざりしている、特に火曜日。
以前から比較的頻繁に見ていた、島田紳介氏の「なんでも鑑定団」が
火曜日の夜のオアシスになっている最近のデコなんであります。
今日もボコのYシャツをアイロンかけながらいつものごとく見ておりました。
二人目、だったかな、中国からの留学生の女の子が依頼人として登場しました。
なんでも、現在大学の工学部で「モノ作り」の研究をしており、
来年大学院に進学したいのだがその費用がままならない。
そこで、頼りにしていた叔母が生前に
『困った事があったらこれを売って足しにしなさい』と譲ってくれた唐三彩を売って
その学費にあてたいので鑑定を宜しくお願いしたい、というのが趣旨。
大学院は二年間通わなければならないのだが、学費だけで年間100万円もかかるそうで、
せめて100万円で売れれば・・・と彼女は希望していたのですが、
残念ながら精巧なコピー(偽造ではなくお土産品としての模造らしい)であることがわかり
かなり安価な値段しかつきませんでした。
さぁ、どうなる、大学院!というところで
『いい仕事してますねぃ』の中島先生が、彼女に毎月1万円ずつ仕送り(援助なのか貸すつもりなのかはわからんけど)すると申し出。
それに続いて紳介氏が
『(授業料は毎月1万円ではなく)いっぺんに要るねんもんなぁ。
あとで楽屋に来なさい。10万円あげる(貸したる、だったかな、ちゃんと聞き取れず)』
と申し出ていました。
『上からでモノ言ってるンちゃうで。感動したからや。』
と付け加えていましたが。
さて、これは上から目線の鼻につく言葉なのか、とちょっと考えてみた。
うーん、そう思う人もいるかもしれないし
実際彼にほんのちょっとでもそういう気持ちがなかったかどうかなんて本人にしかわからない。
例えば(ウソかホントかしらんけどw)将来の府知事選立候補を視野に入れて
「ちょっとイイ人・オレ」をアピールしつつ「ヤな奴」に見られるのを牽制もしつつ、
だったとしても、まぁありえん話じゃないかも、とも思ってみたり。
しかし、もし仮にそうだったとして。
彼が「偽善者」だったとして、それを誰が責められるというのか、と思った。
例えば、彼がこのことによって株を更に上げ、
『企んだ通りに評判が上がったわい、うっしっし。』とほくそえんだとしても
中国人留学生である女の子にとって「よいこと」であったには違いないのである。
そしてこのことで誰も傷ついていないしね。
例えば電車の中などで高齢の方などに席を譲ろうとした時にも同じような心理的状態がある。
自分は今日はとても疲れていて絶対このまま座っていたい!と思っていたら
自分の隣の人が目の前の人に席を譲っているのを目撃して、
ちょっと自分を反省しつつも
『イイ人気取りしやがって~』的に少し思ってしまったり。
逆に自分が席を譲った場合に、周りの人にそう思われてるんじゃないかと自意識過剰になってしまったり。
ありません? そういう経験。
それから、高齢の方が車内で立っているという状況で、近くの席に座っていた若者が全く別の中年の方に
『君、席を譲らないなんて何を考えてるんだ、まったく!』
と大声で叱られたという話も、少し違うけれども思い出してしまう。
「親切」は常に気持ちでありそのココロは「善」である、とは思う。
ただ場合や人によっては、思惑とか疑念とかもつきまとったりする。
誰だって「偽善者」だと思われたくないし、
でも人間だからちょっと気になりつつもホントの気持ちを出せなかったりいろいろある。
でもそれが「偽善」だろうとそうでなかろうと、
受けた側にとってありがたいこと・嬉しいことならばその行為自体は「善」となる。
逆に言えば、100%良かれと思ってしたことも
相手の気持ちにそぐわなければその行為は「善」とは言えない。
単なるありがた迷惑になる可能性だってある。
だから紳介氏や中島先生が「偽善者」であろうとなかろうと、
女の子がその申し出をありがたいと少しでも思ったのなら
その申し出は「善いこと」であって「偽善」ではない。
例え「上から目線」であったとしても、それが「悪い事」とは必ずしも言えないのだ。
なかなか出来ることではないしね、財力もないと、気持ちだけでは援助は出来ないし。
ところで、「親切」の難しさって、まさにその「気持ち」と「偽善」のはざまにある気がする。
中年男性が若者に注意したというさっきの件。
「気持ち」を強要するこの中年男性には私はかなり違和感を覚える。
自分が席に座ってる時に自分が譲れば良いのだし、
自分が立っていてそれができないなら『君は若いのだから可能なら譲ってはどうか』と
もっとソフトに声をかけることもできただろうと思うからだ。
だって、若くたって具合が悪かったり
場合によっては一見してはわかりにくくても身体に障害を持っている人もいるわけだから。
(実際、この話には続きがあって、その若者は実は目が見えない方だったのですよ。
だから席を譲ろうにもそもそも見えてなかったという。
『すみません、僕は目が見えないものですから・・・』
そういわれて中年男性は非常に気まずいというか、その若者に申し訳ない気持ちになった
ということだったのですが。)
けれども、まぁ、そういう特段の事情がなかったとして。
健全な若者が、目の前に高齢の方が立っているにもかかわらず
眠りこんでるわけでもないのに席を譲らず知らん顔をしている、という状況だったとして。
中年オヤジに叱られて渋々席を譲るハメになった若者の心に「気持ち」のカケラもなかったとしてもなんら不思議ではなく
それはもはや「偽善」ですらないけれども、
結果席を譲り受けた方がそれを喜んだとすれば、この若者の行動は「善」にはなるわけですよね。
ただし、この中年オッサンの行動は全く「善」ではない気がする。
だって、そんな風に言われた人(この場合若者)の多くは正論を言われてるのは理解しても
素直な気持ちにはなりにくいと思うのですよ。
彼の心に本当の意味での「気持ち」が生まれてこそ意味があることだと思うし。
それにそうやって席を譲られた方もじゃっかん気まずいですよねー。
車内の雰囲気的にもなんとなくヤな感じじゃないですか。
だいたいそれでオッサンがちょっとでも『ふふん』とか思ってたらヤだし
でもそう思われる可能性は高い気もする。
『あのオッサンはなんもしてない(席譲ってない)くせに。偽善者め。』とか
『あの若い子、災難だったわねー』とか思われかねないしね。
相手にとって本当に必要なことは何か。
その時、他人ではなく、自分がどう行動するのか。
それってとっても難しいサジ加減と配慮が必要だなぁと、とても強く感じた
今日の「何でも鑑定団」だったのでした。
・・・ちなみに紳介氏や中島先生が「偽善者」だと言ってるわけではないです。
誤解のないように。。。
<今日のメニュー>
朝:トースト、メロン1/4、麦茶、ダノンヨーグルト
昼:冷麦、レモン&パセリソーセージ1本、麦茶
夜:十六穀米、マーボー豆腐、ジャガイモ・玉葱・ワカメの味噌汁、モヤシと春雨の中華サラダ(人参・キュウリ入り)、麦茶
夜おやつ:ヤクルト
ボコの夏のボーナス、特に増えたわけではないけど、これを機に我が家のトーストを8枚切りから6枚切りに昇格させました。ぱちぱちぱち。。。ダイエット目的で8枚切りにしていたのですが昼までもたないのでw 一緒に住み始めてもうすぐ丸4年だし、暮らしに変化をつけてみたwww