昨日はあきP(=我が子)を抱っこして一時間半も散歩してしまったデコです、こんにちわ。
天気良かったので公園でも、と思っていたのに一時間半の大半は駅ビルの本屋でした。。。
でもおかげで少しリフレッシュ。
ところで、普段本屋に行く用事なんてロシア語関連かパタリロ以外には全く無い私。
本を読むのがキライ、というよりは、他人様の世界になかなか没頭できないタイプ。
他人は状況を表す言葉遣いが自分と違うからどうもしっくりいかなかったり
登場人物が多すぎたりするとわからなくなってストーリーに集中できなかったりで、
何度も何度も前のページを読み返したりしてるうちに疲れ果ててしまうんです。
というわけで、ここ数年、本といえる本を読まなかった私。
しかし昨日は「映画化」と書いてあるひとつのポスターになんとなく心を奪われ
店員さんに文庫が出てるか尋ねるまでして、或る一冊の本をもとめました。
谷村志穂さんの『余命』
そして、Pが寝た夕方6時すぎから夜2時までの間、
途中ご飯作って食べたり風呂に入ったり洗い物やボコ(=夫)の給仕をしたり
はたまたPにミルクあげたりしてたんですが、それらを除いた残りの時間で
なんと私はその本を読みきってしまった。
私にはとても珍しいことです。
義務になる前に、先を知りたいという好奇心だけで読破することは。
自分が産んだり今育児中だったりするからだと思いますが、
自分とは違う状況のはずの主人公の立場がとても自然に入ってきたのでした。
言葉も読みやすかったんだろうな。
いくつか胸を打った言葉もあって、
本に出会う機会の少ない私の、この本に出会えてよかったと思えた数少ない本のひとつになりました。
・・・ネタバレになるから言わないでおくw
読みきった二時間後、Pがおなかがすいて起きたようでした。
ミルクをあげると15分で飲みきる彼。
そして飲み終わった後、なんとなく落ち着かなくて寝られない彼が最近求めるのは
私の指をギュッと掴むこと。
まだ寝返りを打たない彼の、柵を下げたベットの端につっぷしてウトウトしながら
指だけは彼にしっかり握られて繋がっている。
かつてのへその緒のようかな、と思ったりする。
栄養は送らないけど、確かに繋がっているという安心感。
顔を上げて彼を見ると、こちらを見つめて穏やかに笑っているのが見える。
この子を産ませていただいた喜びと愛おしさに涙が漏れる。
数十年後かに、きっと立場が逆になっているかもしれないと思った。
私が看取られるとき、成長した彼は私の手を握ってベッドサイドに居てくれるだろうか。
同じ穏やかな笑顔で。
そしてその時にも、私は同じ涙を流すだろう。
死ぬ涙ではなく、生きることを感じる涙を。