ボコ(夫)と息子あきPがネンネの間に更新のデコです、こんにちわ。
ボコが昨夜遅く帰ったらあきPが元気に起きてて寝かしつけるのに四苦八苦したらしく
あまり眠れてないらしいです。
母は爆睡でその事実さえ知らんかった。。。 (^^;
さて、大原麗子さんが亡くなりましたね。
世代こそ違いますがそれでも、自分がよく知ってる女優さんが亡くなるたび
私もそういう歳になってきたんだと実感します。
ところで、それについて、ニュースではこぞって
「大女優、孤独死」
と言って取り上げてますね。
そういうふうに、名声の誉れ高い人でも最期は一人なんて孤独ねー と言って安心したい人が多いのでしょうか。
「人の不幸は蜜の味」なんて言葉もありますから、ちょっとした妬みからくるのかもしれないし
そう言ったほうがドラマチックに聞こえてニュースとして面白いのかもしれない。
でも、そう言う人たちは、どうなんでしょうね。
自分は「孤独じゃない」と思ってるから言える言葉なんじゃないのかと思うのだが。
てかそもそも「孤独」って何?って話ですよね。
高校生の頃の国語の時間に教師が
『人は「自分は孤独であることを知っている人」と「孤独であることを認めたくない人」のどちらかしかいない』
と言っていたのを、ろくに授業を聞かなかった私ですがいまだによく憶えてます。
つまり人はみんな「孤独」なのだと。
確かに人にはこの世にたくさんの縁が用意されていてこの上ない関係の友人やかけがえのない家族を得ることもできますが
しかし生まれて来る時も死ぬときも一人です。
どんなに愛し合って結婚した伴侶だって細かいところで考え方や将来のビジョンが違ったり、場合によってはそのことにより離婚するなんてこともあるわけだ。
だから、結婚して家族がいれば孤独でなく、友人がたくさんいて毎日忙しいから孤独でなく、
結婚もせず友人も少なく趣味も多くないので孤独だ ということは決してありえません。
家族が居ても生まれたばかりの子供と二人っきりで外出もできずにポツンと家に居るときは
とても孤独というか世の中から切り離された、見捨てられた気がしたことが私はある。
気の合う友達がいて仲良くつるんでいて自分も相手もお互い変わらないよねって思っていても
例えば片方が結婚しました子供出来ましたってなると、それまではオールで飲み明かしてたのが
家族を理由に徐々に終電でとかそのうち子供を風呂に入れる時間までに、とか
悪気はなくてもどんどん付き合い悪くなっていったりとかするんだよね。
(って自分も人もこと言えませんけど。。。T∀T;)
家族とは仲良くやってて浮気とかもなく(多分w)毎日ちゃんと帰ってきたり
友達とは飲む機会や時間が少しばかり減っても仲良くしててとか、
そういう中でふと感じる「孤独感」って、一人で居る時に感じるそれとは比べようも無い。
だから一人で居ること、一人で死ぬことが「孤独」じゃないんですよね。
じゃぁ家族って、友人って、なんのために、どういう位置づけでいるんでしょうね。
「孤独」を忘れるため?
私にはまだ明確な答えがありません。
でも、一人一人別の考え方があって別の人生を歩いてる。
それを受け入れ理解した上で、
お互いが「ひとり」「孤独」であることを慰めあうんじゃなくて尊重して歩いていけたなら
「孤独」な人生の道も少しは楽しい道中になるんじゃないかと思うんです。
旅は道連れ 世は情け
って、いい言葉があるなぁと思う。
違う人生歩いててなんの因果か知り合って
『いい天気ですね』『隣の席空いてますか?』から
『ご飯一緒に食べましょうか』『あちらまでご一緒しませんか』ってなったら一人旅も結構捨てたもんじゃない。
「なんのため」じゃなく、そういうのが旅の醍醐味、人生の味わい。
料理のアクは完全に取り除いたほうが見栄えがいいけどアクも旨みの一部なんだよね。
だから、深く自省することは自分の孤独と向き合うことだから人はなるべくそれを避けようとするし
人に指摘されたりするとカチンときたり『ヤな奴!』と思ったりするけれど、
それも人生の醍醐味、アクでもあり旨みでもある。
自分の人生ではまだ味わったことの無い事をありがた迷惑にも他人が教えてくれているのだと。
そう思えば腹も立たない。
自分の人生を深く見つめて美味しい時を逃さず味わっていきたいものですね。