一芸強要予告?
そんなこともしばしばあるのでしょうね。社会に出るとその程度のことではない嫌なことが色々とあるのだと思います。一芸を強要されても、やりたい人、やれる人がやれば良いのだと私は思います。やりたくない人、やれない人(それが芸として評価されるかどうかを別にすればやれない人というのはいないと思いますが。)はやらなくても良いはずで、それによって不利益に評価されるのは基本的に不愉快です。中学生みたいなことを言っていますが、狭い閉鎖的な環境でしばしばこういうことが行われると、そのプレッシャーというのは結構きついです。その場の雰囲気を壊すのも悪いと思いますし、自分の身の回りの人に迷惑をかけるかもしれませんし、自分自身が迷惑を被るだけでなく、他の人に対して申し訳ないと思うものです。じゃあ、やれ。と言われて、やる人はやればいいと思います。詰まらない芸でも、とやかく言われようとも、なんらかの芸を、っていうか、なんかやればその場はそれで済みますし、それで良いのかも知れませんが、やっぱり不愉快なのは変わりません。飲めない人に飲まそうとするのも似たようなものでしょう。頑固で子供っぽくて、そんなことも上手にかわせない自分が少しばかり残念ですが、突っ張ったら突っ張ったで、またきついんですけどね。周りからは浮くでしょうし、みじめな思いもするでしょうし、それは非常に悔しいですし、そんな思いをするなら、嫌でもやった方がいいということになって、その場さえ乗り切れば、というやり方もありますね。しょうがないか、と思って、割り切ってやる人がほとんどかもしれませんし、それで笑わせることが出来る人はやっぱりたいしたもんだと思います。羨ましいですし、それ相応の機転を効かしたり、努力なりをしたりしているのだと思います。最初から飲み会に行かないと言う手もあるのですが、んー、飲み会に行って断るのと、どっちが良いのやら。最初からやるって分かっていたら適当に用事を付けて断るのですが、やるかやらないか分からないだけになんとも、という感じです。ま、行かないのが無難ですかね。ついでに言うと、あほらしいのが、飲み会に参加しないことをとやかく言う人がいるのですが、自分たちのそういう行動が飲み会に参加させたくなくさせているのが分かっていないことですね。自分が嫌でないことには、なかなか想像力が働かないのも無理な以下と思います。自分も、他の人に苦手なことを勧めたりしてしまっていることもあり、その時はそんなに嫌だと思っていることを忘れてしまっていますしね。しかし、選べる、ということはありがたいことだと思います。自分が嫌なことは拒める、拒んで不利益を受けても、他の所で生きていける、というのは本当に良いことだと思います。そう思えば、乗り切れることも増えてきて、その度に強くなれるのかもしれません。で、段々平気になってくる。あー、しかし、我ながらこんなに細い神経でこれからやっていけるか、ちょっと心配ですね。あと、ちょっと残念ですね。一芸みたいなチャンネルで人と仲良くなったり、評価されるのは羨ましいですが、そういうチャンネルでしか見られない(ま、そんなことはないのですが)あるいはそういうチャンネルを強要することで無理に接近しようとしたりしないといけない(笑いが人と人との間の緊張を緩和して、気心が知れやすくなるのは確かですが)、そして接近できないことで距離が出来て、お互いの距離が縮まないで終わってしまうことがちょっと残念です。ま、これは私の方の都合というものでしょう。今日は完全に愚痴ですね。我ながらかっこわるいです。お付き合い頂いてすいません。またしばらくしたら元気な報告をします。ではでは。