講義+クラス旅行
この日は、外部講師を招いての講演が3本立てであり、講義終了後、その足で一泊二日のクラス旅行に行きました。他のクラスでは、土曜日からの一泊二日旅行も多いようです。ところで従前は、2回試験終了後一週間くらいは丸々休みがあったようで、この時期は結婚式ラッシュだったそうです。その足で新婚旅行という感じみたいですね。外部講師を招いての講演の方は、医療過誤訴訟(医療側) 児玉 安司否認事件弁護のすすめ 升味 佐江子弁護士業法と税務 永島 正春 (敬称略)の3つを受けました。医療過誤訴訟では、医療側はとかく悪く言われ勝ちですが、医療ミスというものの事実的背景や、組織法としての医師法が極めて貧弱であること、医療過誤保険の脆弱性、などなどを考えると、マスコミが言うことを鵜呑みにすることがいかに危険なことか、というのがよく分かりました。うーん、ちょっと上手くまとめ損なってますが、株式会社に関する法制度が商法の改正で逐次バージョンアップされているのに対し、病院という組織体においては、上場企業レベルの病院においても、ろくに組織の自治や権力分立、会計面の明朗化などの措置が採られていないことを、書き残しておきたいと思います。否認事件弁護のすすめは、99,7%の有罪立の中で、否認事件弁護をする弁護人の悲哀を感じさせるものでした。講師の修習生時代の刑事弁護教官がおっしゃった言葉が印象に残りました。「刑事裁判において被告人の権利を守るものは誰ですか。検察官ですか。(いいえ。)裁判官ですか。(いいえ。)じゃあ、誰ですか。(弁護人です。)それなら、全てをやってみなさい。被告人のためなら、違法でないことは全てやるんです。弁護人の対面なんて問題になりません。」土台無茶なことをやろうとしているのが刑事弁護人というのが実情ですが、だからこそ、下手な対面にこだわらず、やれることを最後までやるその根性こそが刑事弁護人の本質なのかもしれません。っていうか、弁護士にしても検察官にしても裁判官にしても、どれもそれがスマートに見えるとしたらたぶん幻想です。どれもこれも泥臭いです。少なくとも自分がきれいにスマートでいられるなんてことはないと思います。泥まみれになって恥をかいて、それでようやく仕事になるんだと思います。恥をかくのが嫌だからと通り一遍の仕事をしていたら、自分がなりたい法律家にはなれないだろうし、いずれきつい形で、しっぺかえしを食らうと思います。それでも恥をかきたくなかったら、日頃から勉強すればいいし、手を抜かないできちんと向き合えばいいと思います。そうは言っても、もちろん恥をかかないと成長しないのですが。恥をかくのが嫌だからと何もせずにいたら、自分のせいで一人の人間の人生が決定的に変わってしまうこともある、その恐ろしさにどれだけ自覚的でいられるかはとても大切なことだと思います。おっかない仕事だと思います。クラス旅行ホント楽しかったですね。最初は2日目すぐに帰ろうかなとか色々考えていたのですが、最後まで居て良かったなと思います。クラスの人たちと一緒にいる機会もあとわずかと思うととても寂しかったですね。これから皆それぞれの人生を色々な形で歩むのだろうし、10年後、20年後にはどうなってるか本当にわからないなあ、と思います。今はまだまだ対岸の火事ですが、弁護士会から懲戒を食らったりすることもあるかもしれないし、事実上罷免されることもあるかもしれないし、誰かが刑務所に入ることになることもあるかもしれません。修習生になり、いよいよ実務に就くというこの時期になると、それぞれの人生の軌跡というものに思いを馳せたくなるのかもしれませんね。