楽園に吼える豹 第八章 岐路に立つ二人(26) 予期せぬ結末
やがて耳をふさぎたくなるほどのサイレンが消えた。火事など起きていないと分かった誰かが、ベルを止めたのかもしれない。レオンはイルファンに対する視線をはずすと、倒れているユキヒロに駆け寄った。「おい、ユキ! しっかりしろ」男にしては華奢な体を抱え、頬を軽く叩く。何度かそれを繰り返すと、ユキヒロは意識を取り戻した。「!! レオン…! 無事だったんですね」そう言った瞬間、ユキヒロは体を走る鋭い痛みに顔をしかめた。「無茶すんな。骨がイカれてるかもしれねえんだから」「僕は大丈夫です。それより………」ユキヒロの言葉に促されるように、レオンはイルファンに視線を戻した。今ここで警察を呼べば、全て片がつく。だが、レオンはその前に、どうしてもこの男と話がしたかった。イルファンは人一人殺しかねないような視線でレオンを睨みつけている。が、少し視線を引いてみると、彼は防火シャッターに挟まれ身動きの取れない状態となっているから、滑稽この上ない。「確か、ルビア共和国の刑務所で会ったよな。あん時はどうも」ユキヒロの話によると、どうもこの男がイルファン・アンドロポフらしい。とすると、さっき逃がした女がリズ・ターナーだろうか。「……いろいろ聞きたいことはあるが…まずはこれだ。お前ら、誰に命令された?」イルファンは半笑いを浮かべながら嘲るような目でレオンを見ている。ぷつりと、静かに、しかし突然にレオンの忍耐の糸が切れた。長い足が振り上げられ、イルファンの顔面に靴がめり込む。「がはっ…」息つく間もなく頬を足で踏みつけた。イルファンの厳つい顔が不細工に歪んだ。「いい気になってんなよ? この場で殺してやってもいいとこを優しく質問してやってんだろうが。俺はユキほど優しくねぇぞ。お前の命なんか、毛ほども興味ないんだからな」ブルーの瞳が、酷薄な色をたたえている。顔立ちが整っているがゆえになおのこと、レオンの表情は相手の心をざわつかせるのだ。「レオン……っ」豹変した幼なじみに動揺したユキヒロが苦しげな声を上げたが、レオンはあえて無視した。優しくしてどうにかなる相手ではない。「―――もう一度だけ聞いてやる。誰に言われてこんなことをやったんだ」「……………」イルファンは黙して語ろうとしない。人を舐めたような笑みはさすがに消えたが、質問に答えようとする気は毛頭ないらしい。「………テロのつもりか? お前ら、“ヘルファイア”っていうテロ組織の一員なんだろ。それにしちゃあ随分回りくどいことするんだな。GSたぶらかす暇があるなら、どっかのビルに爆弾でも仕掛けたほうがよっぽど効率がいいんじゃないのかよ」それとも、こいつもゲオルグ・シュバイツァーのように行為そのものを楽しむという愉快犯なのか。「…フッ、ククク」突然、イルファンは笑い出した。レオンは彼の顔を踏みつけていた足をどける。「…何がおかしい?」「俺たちが“ヘルファイア”の一員だって? こりゃ傑作だ。そんなとこをうろちょろしてるようじゃ、到底“あのお方”のところへは辿り着けねえな」「…何?」誰の話だ。レオンは眉間にしわを寄せる。「いいか、よく聞け。あのお方はな……」「?」そこまで言って、イルファンの口上はいきなり中断された。尻切れとんぼになった言葉の先を待つように、彼の顔を少し覗き見ると、「あ、頭が……」「あ?」「頭が、痛い……あ、ああ……」イルファンの顔が見る見る蒼白になってゆく。手足の自由がきくのなら、手で頭を押さえ、痛みにのたうち回っているような苦しみ方だった。もっとも、イルファンは防火シャッターに挟まれて体の自由がきかない状態であったから、彼の苦痛は表情から判断するしかなかったが。「な…」「あああ……痛い……ああ、あ」ゾワリと肌が粟立つのを感じ、レオンは後ろへ飛んだ。その刹那。「あああああっ!!」パン、という音がした。レオンの人形のように整った顔に鮮血が飛び散る。服にも絵の具のように真っ赤な血がこびりついていた。イルファンは―――死んでいた。首から下は生きていた時のまま。ただ、頭部だけがなかった。まるで頭の中で何かが弾けたように。「マジかよ……」予想だにしない展開に、さすがのレオンも呆然と立ち尽くすしかなかった。「レ、レオン…っ」「…見るな。余計気分が悪くなるぞ」レオンはさりげなくユキヒロの視界を遮る。だが、ユキヒロもイルファンの頭が弾ける瞬間をしっかりと目撃していた。「どうして……どうしてあんな…」「わかんねえ。何だって急に…」小型の爆弾でも仕掛けられていたんだろうか。秘密が外に漏れないように?「―――消されたのかもな」“あの方”とやらに。レオンはもう一人の女を逃がしたこともユキヒロに話した。その女がおそらく残りのアドバンスト・チルドレン、リズ・ターナーであろうということも。彼女が暗示に近い能力によってGSを操っていたらしいことも。話し終わると、ユキヒロは座り込んで頭を抱えた。「事件の原因が分かったのはいいことですけど…どう説明すればいいんでしょうか……」事件の真相は判明したが、こんな荒唐無稽な話を信じてもらえるわけがない。レオンが嘘を言うとは毛頭思っていないが、ユキヒロですら話を聞いても現実感が湧いてこないのだ。疑心暗鬼になっている一般大衆を説得できるはずなどない。「とりあえず、隠しカメラの映像とボイスレコーダーを分析にかけてもらうっきゃねえだろ。あの女の出す音波が脳に何らかの影響を与えることが分かれば、俺らの疑いも晴れる。……運がよければな」「そうですね……って、いつの間にそんなものを!?」「あらかじめセットしといたに決まってるだろ。ビデオくらいとっとかねえとまずいだろうが」なら一言くらい言っておいてほしい。言う必要もないほど当然のことだと思っていたのだろうが。「ジェイクの店、これから大変そうだな……」死人まで出すつもりはなかったが、確実にこれで客足は遠のくだろう。「まあそれについては後で謝るとして、とにかく病院だ。行くぞユキ」はい…と弱々しく返事をするユキヒロの肩を抱え、レオンはその場を去った。人気ブログランキングに参加しました。よろしければクリックお願いします♪(*^▽^*)↓