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カテゴリ:東日本大震災
気仙沼から陸前高田市へ 日常で南三陸~石巻の沿岸部まで震災復興の仕事で内陸部から通っていますが、南三陸の北側へは気仙沼を含め暫く前に車で走っただけでした。そんなことで日曜日、大谷、気仙沼、岩手の陸前高田市の災害復興の進み具合をこの目で見てきました。 宮城県の中でも、内陸部の大崎や仙台と、沿岸部は震災復興の意識がかなり違ってきています。ましてや遠くの町は時間とともに記憶も薄れていくでしょうが、暫くは強い関心を持ち続けて欲しいのでした。とはいは、地元でも稀薄なところもあるのですが……。 岩手県立高田病院。町の中に壊れているまま今は建っています。 今から35年以上前、当社の創建当時手がけた建物です。海から1kmほど内陸の場所。鉄筋コンクリートの建物だからこの姿で残っているのでしょう。 高田の町には何も残っていない。向こうは1000ホテル。ここがかつては町の中心だったのでしょうが。ホテルの向こうは松原だった。松の木が1本残ったところ。 市役所とショッピングセンター跡。 市役所は町の西側、山の向こうに移ったらしいのですが見えません。
博物館前から見た場所。残念ながら四方どこも近くには建物らしいものが消えた跡。 このままではいけない。人の住む町を再建するように。かつて江戸時代、その前も人は荒野に町を作った。やる気になればできる。スピード感も必要だが、新しい町が早くできることをみる。祈るともなかなか言えない。希望とも、期待とも夢ともいえない。ただ必要だ。 気仙沼市の鹿折地区へ。船はまだそのままだった。地元でもニュースから消えて久しい。 気仙沼の港。震災時には炎上した港もここまでは復興していました。山の上から見ただけでは表面だけです。近くに行くと手のつかない破壊されたものが、まだまだ気の遠くなるほど残されていますが、片付けは急ピッチで行われている。 海に浮かぶのが大島です。港には漁船も戻ってきました。氷工場、魚加工場も一部ではありますが再建し営業始まったようだ。 とはいえ、町全部、すべての企業が再建するにはこのままだと相当の時間がかかるようだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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