0147 全国写真旅・入門 (総集編51)
Copyright© 中山イーフォト (Nakayama e-photo) All Rights Reserved. Since October 17,2005-2023(画質下げ・書込禁止・設定中 無断複写・転載禁止) MS-Pゴチ11P 「夫婦で行く全国写真旅100回 記念展」概要(11) 「写真96~102 九州・関東編 147-1~10 記念展来場者の要望に応えたネット化第11回目の写真概要である。写真番号・展示順に従い、日本地図に沿って展開している。沖縄から北海道迄の写真パネル154枚と参考情報、及び第二の人生組の応援歌としての標本パネル展示等である。 今回の写真96~102は、九州・関東の写真である。更に、咋秋訪問した九州旅の写真を下段に【九州写真_7】として若干枚加え、「写真旅・参考情報」を更新した。写真96は、「上野彦馬の墓石」: 長崎県長崎市・写真家の端くれとして、日本国写真の祖である上野彦馬の墓所へ墓参した。彼は日本国写真の祖三人衆の一人で、他に鵜飼玉川(うかいぎょくせん)と下岡蓮杖が挙げられる。彦馬が残した幕末の人物や戦場写真は教科書等に多数用いられている。墓所は風頭(かざがしら)公園にある。ここは歴史を飾った魅力溢れる多様な人物の墓が無数に点在している。(96)写真97は、「下岡蓮杖記念碑」: 静岡県下田市・日本国写真の祖の一人である、下岡蓮杖の記念碑である。特に、日本に於ける商業写真の祖と言われている。幕末に活躍した人物や時代背景を活写した功績は大である。(97)写真98-1は、「唐人お吉の墓」: 静岡県下田市・篤志家により宝福寺に新旧墓が整備されている。写真右奥の解説板前に傷んだ黒色の小さな墓石が旧墓である。(98-1)写真98-2は、「唐人お吉記念館」: 静岡県下田市・お吉の多様な関連資料が見学できる。文献等に依れば、黒船来航時、幕府権力が大金を積み、お吉(斉藤きち)にタウンゼント・ハリス駐日領事の相手をさせている。“唐人お吉”と蔑称され、酒に溺れ、入水して生涯を閉じた。その亡骸の放置を見かねた宝福寺の住職が懇ろに弔った。(98-2)写真99-1は、「北条五代墓」: 神奈川県箱根町・菩提寺の「早雲寺」で、肩を並べて静かに眠っている。(99-1)写真99-2は、「曽我兄弟の墓」: 神奈川県箱根町・NHK大河ドラマや、様々な映画で時々脚光をあびている。(99-2)写真100-1は、「二宮金次郎像」: 神奈川県小田原市・かつては全国の小中学校の校庭に多く建立されていた金次郎の銅像である。なぜか、最近は少なくなっている。(100-1)写真100-2は、「同上・解説板」: 神奈川県小田原市・:銅像前の尊徳記念館の解説板である。そこには、“経済無き道徳は、戯言であり、道徳無き経済は犯罪である”と述べられている。馬耳東風だろうが、今一度、全世界の政治家と官僚に言い聞かせたい言葉だ!(100-2)写真101は、「小田原城」: 神奈川県小田原市・難攻不落の城だった北条氏の拠点城である。なお、秀吉が築城した近くの「一夜城」も併せて訪ねると、当時の城攻め模様が豊かに想像できる。(101)写真102は、「吉田松陰の歌碑」: 神奈川県箱根町・箱根神社平和の鳥居近くに建立されている歌碑である。幕末に、数多の獅子を輩出させた松陰だったが、安政の大獄で29歳の若さながら、獄中で斬首された。「親思うこころにまさる親ごころ けふの音づれ何ときくらん」の和歌が心にしみ渡たる。(102)【直近の九州・写真_6】 昨秋、約一ヶ月半に及ぶ沖縄&九州写真旅を敢行した。以下は、鹿児島から福岡迄に出会った写真旅の寸景である。H1)「佐々木小次郎」の作品完結記念の小次郎碑: (H-1) 福岡県北九州市・手向山公園内にツバメ返しで有名な剣豪「佐々木小次郎」の作品完結記念碑が作者である直木賞作家の村上元三氏により建立されている。又、直ぐ近くには、巌流島の決闘相手であった二刀流の使い手であった宮本武蔵の記念碑も建立され、バランスが図られている。H2)「宮本武蔵の記念碑」: (H-2) 福岡県北九州市・手向山公園内に、同上の小次郎の記念碑近くにある、“二刀流”の剣豪・宮本武蔵の記念碑である。岩手県水沢市出身の野球選手、大谷翔平君が二刀流(投手・野手)で世界を沸かせているが、その二刀流の元祖である。何回も訪れているが、武蔵の記念碑の方が、手入れが行き届いている印象だった。今後一層訪れる人が増えるであろう。H3)「建築家・黒川紀章氏の作品」: (H-3) 福岡県北九州市・「大連友好記念館」&「高層マンション・レトロハイマート」のワイド写真である。後者の設計者は故黒川紀章氏で、同31階には「門司港レトロ展望室」(有料)があり休憩と展望ができる。前者は、北九州市と大連市の友好都市締結15周年記念館である。H4) 「バナナの叩き売り解説板」: (H-4) 福岡県北九州市・JR門司港駅前の広場に設置の解説板である。昭和20年代は、バナナの叩き売りは、あちらこちらで良く見かけたが、現在は見かけない。当時を知る一人として寂しさを感じる。H5) 「関門(海底)トンネル1」: (H-5) 福岡県北九州市・様々なことがありながらも、本州と九州を繋ぐこのトンネルは、21年間掛けて開通した海底トンネルである。そのトンネルの出入口全体写真である。何回も利用した印象は、狭くて圧迫感がある。それが嫌いな人は、少し高くなるが、見晴らしの良い海上の「関門自動車道」を走るしかない。H6)「関門(海底)トンネル2」: (H-6) 福岡県北九州市・同トンネルの出入口には、河豚(ふぐ)の「口」が描かれているので、吞み込まれる錯覚を覚える。話の種として、一度は走ってみたい道路である。H7)「渋柿」: (H-7) 福岡県田川群福智町・直方市の隣町だが、至る所に渋柿があり、言わば渋柿の宝庫だと思っている。欠食児童だったので、悪友と共にこの熟し柿を良く食べながら語らった。兎に角、筆舌し難いくらい美味い。但し、熟し柿の皮は破れ易く、手足とボロ服を汚した。H8)「干し柿」: (H-8) 宮崎県日南市・渋柿は、上述のように“熟す”のを待って食するのも一つの方法だが、王道は干し柿にして長期保存食として食することである。但し、言うは易しだが、手間と暇が想像以上に掛かる。それだけに、口に入れた瞬間の感動は“別格”である。【参考情報_10_写真旅の小物類(1)】 写真旅には、様々な小物類が必要であるが、その選択が難しい。以下は、その小物類(1)の列挙である。1、レンズフード&ケース: レンズ購入時に純正のフードが付くのが一般的だが、大きいため邪魔になる場合がある。適宜ラバーフードを併用し、又、レンズケースは自作している。2、レンズクリーナー: 一流メーカーの液体クリーナーと、ペーパークリーナーをカメラバックに忍ばせ、必要に応じて使い分けている。カビ防止のためには、息を吹きかけてクリニングしないことである。3、レンズキャップ&ボディーキャップ: 予備として、必ず1組カメラバックに持ち込んでいる。4、フィルター&フィルターケース: レンズ購入と同時に同口径のプロテクターフィルターを調達し、使用開始前に確りと装着している。その他、同口径のPLフィルターも併せて購入し適宜使っている。フィルターケースは口径が異なるため、最大口径に合わせたケースが必要である。5、ブロアー: ボディ、レンズ、その他、多目的に使用できるので、大小のゴム製ブロワーと、エアーダスターを常備している。 なお、暫くの間、当サイトは、変則的な掲載となる。 0147 全国写真旅・入門 (総集編51)● このサイトは、次の構成に沿って展開している。(140回目以降)140:全国写真旅・入門の実際(総集編44)・・・・・・20221127141:全国写真旅・入門の実際(総集編45)・・・・・・20221219142:全国写真旅・入門の実際(総集編46)・・・・・・20230130143:全国写真旅・入門の実際(総集編47)・・・・・・20230227144:全国写真旅・入門の実際(総集編48)・・・・・・20230320145:全国写真旅・入門の実際(総集編49)・・・・・・20230428146:全国写真旅・入門の実際(総集編50)・・・・・・20230529147:全国写真旅・入門の実際(総集編51)・・・・・・20230707148:全国写真旅・入門の実際(総集編52)・・・・・・(予定)――――――――――――― ・ ・ ・ ――――――――――――― 不透明な“ウクライナ”戦争情勢 日本も危うい!(情報戦6)【17】 先月6月23日は、総理大臣も出席して挨拶する「沖縄戦犠牲者を慰める慰霊の日」だった。その日もウクライナ戦争は続いていた。そして、“殺戮(さつりく)”が延々と続く戦争の最中ながら、当事国内で賄賂事件や、内紛が激烈化し、目が離せない状況となっている。しかし、大半の情報がウクライナ寄り側から出ており、ロシア側からは非常に少ないことに注意すべきである。 無論、“情報戦”だから仕方が無いことながら、“埋もれている情報”の中にこそ重要な情報があるので、様々工夫をして渉猟(しょうりょう)すべきで、テレビや新聞報道は参考程度に止め、流されるべきではない。 前号で述べたように、本来ならばG7(核保有国&シェアリング国)の全首脳が一丸となってロシアに乗り込み停戦を求めるべきだったが、誰一人としてその言動は無かったようである。ことほど左様に、人間ほど愚かで、小賢(こざか)しくて、残忍な動物はいないと重ねて思わされた。 この戦争から真剣に学ばなければならないことは、“性善説”ではどうにもならないことと、戦争をしたくなくても “戦争を仕掛けられる”現実があることである。そして、戦後70年余もの間、学習を厳しく真剣に行わずに過ごしてきた日本は、様々な事実を正しく知らなければ、深い国防議論は始まらない。直近の台湾、尖閣、北方領土、自己防衛力、情報戦の問題は、明日からの議論では遅いのである。