0148 全国写真旅・入門 (総集編52)
Copyright© 中山イーフォト (Nakayama e-photo) (Nakayama e-photo) All Rights Reserved. Since October 17,2005-2023(画質下げ・書込禁止・設定中 無断複写・転載禁止) MS-Pゴチ11P 「夫婦で行く全国写真旅100回 記念展」概要(12) 「写真103~113 関東編 148-1~12 記念展来場者の要望に応えたネット化第12回目の写真概要である。写真番号・展示順に従い、日本地図に沿って展開している。沖縄から北海道迄の写真パネル154枚と参考情報、及び第二の人生組の応援歌としての標本パネル展示等である。 今回の写真103~113は、関東の写真である。更に、今年の春先に東北写真旅を実行した時の写真を下段に【東北写真・1】として若干枚加え、「写真旅・参考情報」を更新した。写真103は、「平和の鳥居」: 神奈川県箱根町・箱根神社のこの「平和の鳥居」は、寒冷期(11月から4月)の早朝、幻想的な朝霧の中に姿を見せる。芦ノ湖の対岸から望遠レンズを使い、足繁く通って撮った一枚である。(103)写真104は、「芦ノ湖」: 神奈川県箱根町・箱根神社の「平和の鳥居」と、冠雪の「富士山」が芦ノ湖に浮かぶ姿が好きである。無風であれば湖面の“逆さ富士”がもっと鮮明となる写真が期待できるが、自然のコントロールはできない。この写真は、観光パンフレットの挿絵として多く採用された。(104)写真105-1は、「北条政子の墓」: 神奈川県鎌倉市・女優の小池栄子が演じた尼将軍の北条政子は、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で人気を沸騰させた。なお、政子は寿福寺の裏手の洞窟の中、頼朝墓の隣でひっそりと眠っている。惜しむらくは、墓前の造花は経済的ではあるが少し淋しい!(105-1)写真105-2は、「北条政子の墓入口」: 神奈川県鎌倉市・洞窟手前が政子の墓である。NHK大河ドラマ放映前に撮影した。写真右手奥に、頼朝の洞窟墓も見える。(105-2)写真106は、「国宝・鎌倉大仏殿と香炉1」: 神奈川県鎌倉市・我が女房のユニークな作品である。高徳院で撮ったものだが、このアングルの発想と狙いが、なかなか面白いと褒め称えた写真である。(106)写真107は、「国宝・鎌倉大仏殿と香炉2」: 神奈川県鎌倉市・同上作品の女房(ブルーのジャケット姿)の撮影風景である。女房の傑作写真の証拠写真であるが、人間は誉められると成長する?(107)写真108は、「江之島の夕景」: 神奈川県藤沢市・稲村ヶ崎から江之島の夕景を狙った逆光写真である。右横には霞みが掛かった富士山が確認できる。シャッターを切ったこの稲村ヶ崎は、同好の士のカメラマン達や恋人達で、押すな押すなの混雑状態だった!(108)写真109は、「丸の内ビル街」: 東京都内皇居東御苑堀端・見慣れた、何気ない丸の内ビル街の風景である。しかし、光が周り、風がない場合、お堀端に様々なビル群が反映され、それなりに絵になる。(109)写真110は、「ツルの噴水」: 東京都日比谷公園「雲形池」・ツルの口先から吐き出される噴水に“太陽光”が当たると面白い絵になる。但し、羽周辺のつららは、凍てつく厳冬期に限られるので、天気予報を観察しながら通えば、このような写真に巡り合えるかもしれない。(110)写真111は、「日比谷公園の植栽」: 東京都日比谷公園「雲形池」・このような人達のご尽力により、心ゆくまで人々は憩えるのである。ハシゴ上の剪定師は若い女性だった。撮影しながら、“ありがとう!”と無言の感謝の気持ちを贈った。(111)写真112は、「吉田茂」: 東京都北の丸公園皇居外苑・戦後を代表する政治家の吉田茂の銅像である。生誕100周年記念寄付金により、彫刻家の船越安武氏に製作が依頼された。仕上がりがビックリするくらい立派である。(112)写真113は、「井伊直弼の墓」: 東京都世田谷区「豪徳寺」・歴史の大きな節目に遭遇した大老・井伊直弼の墓である。日本の歴史の学習で必ず登場する人物である。評価は様々だが、紛う方無く日本の歴史を“大きく前進”させた一人である。草葉の陰で、現今の日本社会をどのように見ているのだろうか。(113)【東北の写真_1】 今年の春先、約二週間に及ぶ東北写真旅を敢行した。以下は、青森県、岩手県で出会った写真旅の寸景である。I-1)「中国の黄砂被害?」: 青森県青森市・道の駅「なみおか」車中泊の翌朝に見た“黄砂被害”である。中国大陸から飛来した黄砂現象で、車全体が砂被り状態となった。これが危ないのは、人体の肺に入り込んだ場合、肺が侵され死に至る場合があることである。黄砂現象が無くなる迄、常備品のマスクを着用した。(I-1)I-2)「岩木山」: 青森県弘前市・眺めてもよし、登ってもよし、の岩木山である。(I-2)I-3)「鶴の舞橋」: 青森県鶴田町・解説板によれば、“日本一長い木の橋”であるとのこと。総工費、2億6千万円と解説されている。右下の鳥は、“鶴”ではなく“さぎ”である。橋の名称を「さぎの舞橋」にしたいくらいサギが複数飛来していた。(I-3)I-4) 「東北地方の廃屋」: 青森県某所・東北に限らず、こうした風景が全国で激増している。写真中央のBSアンテナがなんとも物悲しく天を仰いでいた。(I-4)I-5) 「遮光器土偶」: 青森県つがる市・明治20(1887)年に亀ヶ岡石器時代の遺跡から出土した由。縄文時代の出土品のモニュメントであるが、「サングラス?」姿が人気を博している。現物は、国の重要文化財に認定され、東京国立博物館に収蔵されている。(I-5)I-6)「津軽海峡冬景色の歌謡碑」: 青森県東津軽郡外ヶ浜町・作曲・三木たかし、作詞・阿久悠の歌である。特に、歌手の石川さゆりが体を少しのけぞるような歌唱姿が脳裏に焼き付いている有名な歌である。(I-6)I-7)「龍飛埼灯台」: 青森県東津軽郡外ヶ浜町・天気が良ければ対岸に北海道が望めるのだが、生憎の悪天候でそれは叶わなかった。複数回訪れた懐かしい灯台である。(I-7)I-8)「青函トンネル入り口広場」: 青森県今別町・青函トンネルが開通する前は、本土と北海道との往来は、“青函連絡船”を利用するしかなかった。トンネル開通後は、連絡船は廃止され、時代の変遷が強く感じられる場所だ。(I-8)I-9)「青函トンネル入り口と新幹線」: 青森県今別町・新幹線が都合よく通過した。その瞬間の写真である。昭和30(1955)年、技術調査が始まり、昭和63(1988)年に開通した。そのトンネル工事で多くの方が殉職された。そうした人々の命で支えられたトンネルである。乗客と関係者は思いを馳せなければならない。(J-9)I-10)「高野崎の渚橋と潮騒橋」: 青森県今別町・高野崎灯台先下にある、二つの赤い橋「渚・なぎさ」「潮騒・しおさい」が絵になる。むろん、潮の満ち引きによっては渡橋も可能であるので楽しさが倍増する。(I-10)I-11)「鯛島」: 青森県むつ市・現地の解説板によれば、この鯛島は、1200万年前の海底火山噴火によるとある。向かって左が「むつ弁天島」で、右手の小島が「立岩」と呼称され、全体の印象が鯛に似ているので鯛島と呼称されている。(I-11)I-12)「道の駅「かわうち湖」: 青森県むつ市・車中泊場所として、この広い道の駅を選択した。御覧の通り、同好の士は、白色のキャンピングカー一台で、自分の車を合わせて2台だけである。日が暮れても照明が点かない真っ暗闇でヘッドライトは必需品である。 その明かりの先に、何やら黒っぽい野獣が走り抜けるのを見た。無論、野獣対策装備をしてのことだが、これを“怖い”と思うか、“面白”と思うかで、全国写真旅を止めるか、続けるかが決まるに違いない。(I-12)I-13)「熊出没注意!!」: 青森県下北郡佐井村・仏ケ浦の駐車場で見かけた“熊出没警告板”である。偶然“熊”に遭遇した場合は食い殺されるものである。しかし、一か八かで熊の“鼻頭”をこぶし等で強く叩くことができれば事態は変わる。又は、高額な熊撃退スプレーを噴射すれば別である。 自分の場合は、若い頃習った空手の正拳と裏拳を駆使し、食い殺される前に鼻頭をめがけて一撃できるよう日々の実技とイメージトレーニングを欠かしていない。(I-13)【参考情報_11_写真旅の小物類(2)】 写真旅には、様々な小物類が絶対に必要である。しかし、その選択が加齢に伴い変化し、段々と難しくなる。以下は、その小物類(2)の参考列である。1、三脚&1脚: 使用レンズが高倍率200ミリ望遠以上の場合、手ブレ機能を解除し、大型三脚のハスキーや、ジッツオを使って撮影するのが原則である。しかし、体力の衰えから1脚の使用が多くなり、今では、カーボン三脚を導入している。なお、大型三脚は、旅先でカメラ以外にも、寝袋、枕、毛布の日影干し等に流用している。車旅ならではの活用例である。2、多目的収納箱: 昔は、丈夫なアルミ製多目的大型収納箱を使っていたが、必要な小物が外から直ぐに分かる透明性の高い、多目的収納箱に変更した。中には各種のマジックテープ、ボタン電池、カメラ予備電池、充電器、文房具等を収納している。3、救急薬品と救急箱: 上記同様、外から中が直ぐに分かる大型救急箱を使っている。中には、各種の常備薬、バンドエイド、包帯、脱脂綿、消毒液、塗り薬、テッシュペーパー、ハンカチ、ガーゼ、マスク、ピンセット、とげ抜き、ハサミ、ナイフ、うがい薬、手首式血圧計等を格納している。その他、3.11の大震災時に購入した、簡易放射能計測器等も忍ばせている。 つまり、旅先でどのような災害や震災に遭遇しても、命さえ助かれば、夫婦協力し合いながら、最低限の救急処置が可能な自立独立体制を敷いている。 なお、暫くの間、当サイトは、変則的な掲載となる。 0148 全国写真旅・入門 (総集編52)● このサイトは、次の構成に沿って展開している。(140回目以降)140:全国写真旅・入門の実際(総集編44)・・・・・・20221127141:全国写真旅・入門の実際(総集編45)・・・・・・20221219142:全国写真旅・入門の実際(総集編46)・・・・・・20230130143:全国写真旅・入門の実際(総集編47)・・・・・・20230227144:全国写真旅・入門の実際(総集編48)・・・・・・20230320145:全国写真旅・入門の実際(総集編49)・・・・・・20230428146:全国写真旅・入門の実際(総集編50)・・・・・・20230529147:全国写真旅・入門の実際(総集編51)・・・・・・20230707148:全国写真旅・入門の実際(総集編52)・・・・・・20230828149:全国写真旅・入門の実際(総集編53)・・・・・・(予定)――――――――――――― ・ ・ ・ ――――――――――――― 不透明な“ウクライナ”戦争情勢 日本も危うい!(情報戦7)【18】 ニューヨーク・タイムズ電子版は、一年半を経過した「ウクライナ・ロシア戦争」で、約50万人の死傷者推計報道をしている。また、両当事国内では、戦争中にも関わらず、激烈な事件が勃発している。筆舌しがたい殺戮、多様なドローン襲撃、取材記者の爆殺、収賄隠匿等、まさしく戦争の“百貨店”の有り様である。 中でも、異変中の異変は、プリゴジン事件である。一説に依れば、彼が米国のCIAと結託し、反逆行為に及びながら、その進行の最中に約束した闇資金の入金が確認できた直後に、CIAを裏切り進行を中止した、と真しやかな情報が流れたかと思えば、更に、彼が搭乗した専用機の爆殺ニュースが飛び込んできた。 しかしながら、搭乗者名簿や不鮮明な映像だけで死亡報道を鵜呑みにするのは早計である。プリゴジン事件は、時間の流れと共に分かるであろうが、深層は“闇”である。こうした中、国内の新聞やテレビの関連報道は、“昼あんどん”的な報道である。勿論、自国の戦争でないことと、情報の信憑性が乏しいことや、真偽の確認が困難なので仕方ないことだが、努力が殆ど感じられない“昼あんどん”の日本社会である。 なお、前147号で、G7の首脳が一丸となってロシアに乗り込み、停戦を求めるべきと述べたが、8月15日のテレビ朝日「大下容子ワイド!スクランブル」放送の中で、13回連続衆議院議員当選の亀井静香氏も、“広島出身の総理は、モスクワに乗り込み、戦争を止めなさい!とプーチンと直談判するべき”と激白していた。 戦争をする人間は愚かで、小賢(こざか)しくて、極度に残忍な動物である。この戦争から真剣に学ばなければならないことは、“性善説”ではどうにもならないことと、戦争をしたくなくても “戦争を仕掛けられる”現実があることである。 そして、戦後70年余もの間、戦争の総括を“あやふや”にし、かつ、学習を厳しく真剣に行わずに過ごしてきた日本人は、様々な事実を正しく知り整理しなければ、深い国防議論は始まらない。直近の台湾、尖閣、北方領土、自己防衛力、情報戦の問題は、明日からの議論では遅いのである。