テーマ:今日のお出かけ ~(8129)
カテゴリ:新潟観光日記(イベント編)
今日はクリスマスにアップする予定だった日記です。
このようにクリスマスムードたっぷり・・・ 残念。。。 まあ過ぎたものはしょうがない、 ちょっと趣向を変えて、クリスマスをネタに日本人の宗教観のお話でも。。。 クリスマスにはたくさんのブロ友さんがクリスマスをネタに日記を書いておりました、 その中の一人、けん家持さんのブログに、 「日本の宗教は仏教が多く、クリスマスなんて関係ないのにこの盛り上がり、日本人は宗教に節操がない」という旨の書き込みをしたら。。。 実に面白い回答が。。。 趣旨としては、 「日本古来の宗教である神道は多神教であり多くの神が存在する多神教では異教の神に対しても寛容である、そのような考えは唯一絶対の神を信じる一神教に毒されたものだ」と・・・ まあこんなに短い文章ではありませんが・・・日本人の宗教観念を適切に表しており正論、実に面白い意見です(興味がある方はぜひご本人のブログを・・・) 言われてみればその通り、理屈っぽい私も「降参、参りましたでごじゃりまする~」と書いてしましました・・・ 日本古来の神道には実に多くの神が存在します、 山には山の神がおり、川には川の神がいる、それは人工物に対しても一緒で道には道の神がおり、便所には便所の神がいる。 なので異教の神に接しても「まあそういう神もいるのだろう」という程度にしか思わず、拒絶することがなかったのですね。 何しろ八百万の神々のいる国ですから・・・ やがて日本に仏教が伝わります、 日本に仏教が伝わった時点で既に仏教はゾロアスター教などの宗教と習合し多くの神が存在していました、 それらはやがて日本土着の神である神道の神々と習合し独自の宗教観を作り出していきます。 これはブロ友さんのところで見つけた大黒様の写真です(笑) え?違うって?、ちゃんとでっぷり太って袋を持ってるでないの、大黒様ですよもしくは布袋様・・・(笑) 大黒様はヒンドゥー教のシヴァ神の化身マハーカーラと日本の土着神である大国主命が集合して出来た神です。 大黒天の名前はヒンドゥー教の神であるマハーカーラ、マハーは偉大なるという意味で、カーラが暗黒を意味します、これが中国に伝わり大暗黒天と名付けられます。 これが日本に伝わって大黒天・・・ 本来マハーカーラは色黒い体に4本腕、憤怒の相を持つ破壊の神です、 それが日本の大国主命と習合し(大国だから・・・)いつもニコニコ大黒様になったわけです。。。 大黒様はお心が広いのでこのようにブログのネタにしてもニコニコ笑って許してくれますよ(笑) このように日本土着の神と習合しその性質を変え信仰されていった神様はたくさんいるのですね。。。 こうして神と仏が合わさっていくことを神仏習合といいます。 神道の大きな特徴に宗教として明確な教義がないということが挙げられます。 仏教には仏教のキリスト教にはキリスト教のそれぞれ釈迦なりキリストなりが残した教義、経典というものがありますが、 元々が自然の中に神を感じ、それを信仰してきた民間宗教であった神道にはそのような経典がありません、 日本の宗教はその教え、教義を仏教に求めたわけです。。。 元々が他の神に寛容な神道がこれを受け入れ両者は急速に近づいていくわけです・・・ 神社の境内には神宮寺が作られ両者は合わさっていきます。 そしてこの後2つの大きな宗教的転換期をむかえます・・・ 一つは・・・ 江戸時代に制定された寺請制度です、これにより人々はどこかの寺の檀家にならないと満足に旅行もできない状態となり仏教に特権を持たせることとなります、 そして仏教は絶対的地位を獲得するとともに腐敗していきます・・・ 次の転換期となったのが明治に布告された太政官布告(神仏分離令)、 世に言う廃仏希釈運動の始まりです、 明治新政府は国民を掌握する手段の一つとして宗教を利用したのですね。 これが国家神道としての神道の保護です・・・ これにより仏教にもたらされていた特権は剥奪され、神道の神と仏教の仏を分離、神宮寺は廃され、多くの寺がとり潰されました。 千葉県鋸山の五百羅漢像は全て破壊され(現在は復旧されましたが現在も当時の傷跡が残っています) 現在国宝に指定されている興福寺の五重塔はこの時の運動で25円で売りに出されあやうく薪とされるところでした・・・ 明治維新の偉業の中あまり明るみに出ることはありませんでしたが これが明治の蛮行「廃仏毀釈運動」です・・・ さて一方保護された神道の方はというと。。。 国家神道は靖国神社に大きな力を与え、軍国主義へと向かっていきます・・・ 政治と宗教が結びつくとだいたいろくなことにならない。。。 これが日本の宗教の概要・・・ 日本土着の宗教は神道ではありますが、それは死者を英霊と祀り戦争を美化するものではなかったはずなのですね。 これが誤った方向に向かったのは政治と結びついたため。。。 日本の神道は自然の中に神を感じ神と共に生きる道、 だから神教ではなく神道なのですね。 日本人の宗教感には死者を敬う心がありますが、 これも死した軍人を崇め戦争を崇拝する心では決してありません。 死者を恐れ敬う心です。 日本の神の大きな特徴は「祟る」ことです(平将門や菅原道真) だから恐れられ、それと一緒にその力を国を守る力と敬ってきたのです。 軍人を英霊と崇め軍国に偏る方便ではありません、そんなことをすると・・・ 祟られますよ・・・ 今日は遅くなったクリスマスのおはなし・・・ 最後は光君・・・ ではまた・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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