カテゴリ:新潟観光日記(イベント編)
昨日8月1日は三条の花火大会の日でした、
まあ前回紹介した柏崎や日本三大花火大会の一つ長岡の花火て比較すると格段に規模の小さな町の花火大会です。 さて、今日8月2日・と明日3日、日本三大花火大会の一つである長岡の花火大会が開催されます、毎年90万人前後の観客が訪れる一大イベントです、 長岡の花火は日にち固定の花火ですが、昨年はタイミングよく土日となったため100万人を越える観客が集まったそうです。 この一大イベントの前日の1日の10時30分、毎年欠かさずあげられている数発の花火があります。 70年前の同日同時刻に開始された長岡空襲、この犠牲となった人々の慰霊鎮魂のために打ち上げられるのがこの花火、 長岡の花火はもともと慰霊鎮魂のための花火大会なのですね。 1945年アメリカの司令官カーチス・ルメイは自身の昇進と陸軍航空隊発足を記念するイベントを予定していました。 それは・・・・ 長岡・富山・水戸・八王子の4つの都市を1昼夜で焼き払うこと・・・ 1日の爆弾使用量がノルマンディー上陸作戦のときに使用された爆薬の量を上回るように計算されていました。 この4つの都市を爆撃することに戦略的意味はほとんどなく、ただのパフォーマンス、イベントとして4つの都市を焼き払ったのです。 数日前からこのころにはすでに恒例となっていた爆撃を予告する伝単が全国にまかれました、 しかしこの伝単には「長岡」の名はありませんでした、アメリカの手違いで「長岡」と書くはずのところを誤って「高岡」と書いてしまっていたのです。 午後10時30分、先導するB-29は大量のガソリンが詰まった大型ガソリン焼夷爆弾を投下します、火のついたガソリンは川をおおい、人々の逃げ場を奪っていきます、 長岡空襲の始まりです・・・ 爆撃は1時間半に及び、落とされた16万発の焼夷弾が長岡の街を焼き払っていきます。 途中中身が黄燐の黄燐焼夷弾 という爆弾を落として街の消化を妨げ、より多くの人々が焼け死ぬように計算されていたそうです。 125機の爆撃機から投下された焼夷弾は長岡の街の8割を焼き、1476人の命を奪いました、 戦略上意味のないパフォーマンスのために・・・ 同日行われた水戸空襲では242人、八王子空襲では445人の尊い命が奪われました。 その多くは戦闘には関わりのない一般市民で、その爆撃が戦争の終結に何の意味も持っていないことは明白でした。 戦後カーチス・ルメイ司令官は 「もしあの戦争に負けていれば、我々は戦争犯罪者として裁かれることとなっただろう、しかし幸いにして我々は勝った」 と述べています・・・ この長岡空襲の終了とほぼ同時刻に開始されたのが・・・ 原爆以外の地方都市の爆撃で最も大きな被害を出した富山空襲です。 富山空襲は人々が眠りにつく深夜に開始され、人々が逃げられないようまずは都市の周辺部を焼き払い炎の輪を作ります・・・ その後で火に囲まれ逃げ場を失った人々を襲ったのは2時間にわたって投下され続けた大量の焼夷弾・・・ 富山の街は徹底的に焼き払われ、実に市街地の99.5%を焼失しました、 犠牲となった人々は2737人、当時のアメリカ軍は戦略上意味のない遊びで一夜で数千人の尊い命を奪ったのです。。。 さて、新潟には本州日本海側最大の都市新潟市があります。 この時点で新潟市には大規模な空襲はありません、なぜ新潟には空襲がなかったのでしょうか? 理由は簡単、原爆の投下予定候補地だったから・・・ アメリカはその後の研究をしやすくするため、原爆の投下は「人口が多く」「爆撃の被害を受けておらず」「山などの遮蔽物が少ないところ」と条件をつけていました 原爆投下の予定地にはあえて空襲を控えていたのです、 8月6日広島に、8月9日長崎に原爆が投下されます、 アメリカにとって原爆の投下は実験で、その候補地は実験場だったのです・・・ 新潟に原爆が落ちなかったのはたまたま天候や視界が悪かっただけの偶然です。 もしもこの時新潟に原爆が落とされていたら・・・ 私など生まれてもいなかったかもしれませんね。 その後このアメリカの戦争犯罪はサンフランシスコ講和条約によって日本がその責任を追及する権利を放棄したため、一切の補償は行われていません。 分かりますか?・・・ これが戦争の正義なのです、勝てば官軍どんな残虐非道な行為も許される、 何百万人の人々を殺そうとも、遊びで何十万人の人々を残虐非道な方法で虐殺しようとも、何千人の女性の人権を侵害しようとも、亡くなった兵士の遺体を切り刻み死者を冒涜しようとも、勝てば裁かれない・・・ これが戦争の正義です、 なんと醜い正義ではありませんか・・・ その後、ハーグ陸戦条約が整備され、このような都市部への絨毯爆撃は禁止される方向に進んでいきますが・・・ 国際法は戦争の抑止力としてその力を示せずにいます・・・ それはこの勝者を裁けない無力さに起因しています、勝てば許されるのならば、勝てばいいわけで抑止力にならない。 法の前では勝者も敗者も平等でなければならない、平等さを欠いたら法はその力を失うもの、 法が平等性を欠いたらそれは勝者が敗者を「戦争の一環」として制裁を加えたというだけに過ぎず、その意味を失う。。。 戦争は勝とうが負けようがそれ自体が罪であり裁かれなければならない・・・ 勝者を裁く法がない限り法は戦争の抑止力とはなりえない、 この世界から戦争を失くすためにはまず勝者の方をこそ裁かねばならない・・・ これができた時、はじめてこの世界から戦争が減るのですよ、 そうは思いませんか?。。。 真に戦争を裁ける日が一日も早く来ることを共に祈りましょう、 夏の花火にね。。。 ではまた・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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