カテゴリ:新潟観光日記(イベント編)
毎年恒例上堰潟公園の稲わらアートを見に行きました。
今年の作品は全体的に昨年よりも出来が良い気がします。 いつも説明が多すぎるので今回はまあ見てくださいということで・・・ これは「トリわらトプス」 あたしはわら恐竜のトリわらトプス! 大きなつのを持っているけど、こわがらないでね。 君たちとはいっぱい遊びたいなあ! あ、びっくりしちゃうから、あたしの上に登ったりしちゃダメだよ。 こっちは「わらザウルス」 ぼくは恐竜の王様ティラノサウルスがおー 白亜紀からタイムスリップしてきたがおー ぼくはこの大きなお口でなんでも食べちゃう食いしん坊! がおーがおーがおーがおー今からみんなを食べちゃうがお! いただきがおー!!! 「キングワラコブラ」 オッス!オラワラコブラ! オラの中に入ってこれる勇気のあるやつはいるかな?? オット、自慢の鱗には触ってもらっちゃ困るぜ?オラを怒らせたら食っちまうからよ! オラの中に入れるか入口を探してみてくれよな! 「マカキリのごん兵衛」 おいらはカマキリのごん兵衛 どっからどうみても生粋の江戸っ子でい。 え、ただのカマキリにしかみえねえだって? べらんめぇ! そんな野暮なこと言ったら鎌でばっさりいっちまうぜ! てやんでい! 「カニ将軍上陸!」 Q.どうしてこんなところにいるんですか? 「確カニ普段は水の中が好きだけど、みんなが楽しそうだからおカニ上がって見に来てやったんじゃ」 Q.カニ将軍さんは優しいんですね 「いカニも。今回はサービスで我が輩のせなカニ乗せて爽やカニ写真を撮ってやっても良かろう」 アヒルのガガーリン ぼくはアヒルのガガーリン! わらアート最先端の技術で水に浮けるのさ! みんな知ってるかい? 上堰潟公園の湖は青いんだぜ!? 全体的によくできてるけど一つだけ出来の悪いのがある・・・ と思ったら、このアヒル、イベントのメインとなる時には湖に浮いていたようなのです・・・ なるほど、失礼。。。 さて、ちょっと時事問題・・・ 戦時性暴力に積極的に取り組んできた韓国がこのたび新たな局面を迎えました、 長らく韓国ではタブーとされてきたベトナム戦争での所業をベトナム人女性から謝罪要求されることとなったのです。 ざまーみろ?、 そんなことを言ってはいけません、これは戦時の女性の人権侵害にとって大きな一歩となる可能性もあるのです。 ここで自らの罪を認め誠意ある対応をすることで韓国は被害者と加害者という関係ではなく人間としての器で日本よりもずっと優れていると証明するチャンスでもあるのです。 自らの過ちを認め謝罪することは恥ずかしいことではない、さあ謝罪しましょう、 そしたら阿部さん、あんたも謝罪しなはれ、韓国を見習ってね。。。 韓国にできて日本にはできない大和民族は自らの罪を認められない劣等民族だと思われてもいいの? ベトナムに謝罪できなければ韓国は人には偉そうなことを言うけれど自分のことは何にもできない、 所詮それを政治利用してきただけの三流国家だったということが証明されますね。 さて、我が国には他国にはできない国際平和に貢献する道がいくつかあります。 一つは戦争、混乱を引き起こした加害者の立場として戦争の真実を伝えること・・・ そしてもう一つ・・・ これは本当に日本にしかできないことかもしれません。 それは敗戦の悲惨さを伝えることです。 広島・長崎の原爆投下、市街地への絨毯爆撃、 戦争に負けるということはどういうことなのか、これは敗戦の混乱の中を生き抜いてきた我が国にしかできないことです。 満州から本土に引き上げるときに何があったのか? これは韓国、北朝鮮はおろか我が国でも伝えられることはほとんどありません。 心ある現地の人に救われた小さな命もありますが、 反面、ロシア、朝鮮の兵士たちに凌辱され打ち捨てられた数万の命もまたあるのですね。 まあここではちょっと目を覆いたくなるような当時の惨状を語った本から一部を抜粋しましょう・・・ 「昭和二十年八月二十日頃であったろうと思う。鞍山から新京守備のために北上したので新京の街は北も南もよく解らないが、たしか終戦の日から数えて四、五日たっていたと思われる頃の出来事だった。・・・・ そんな日病院の玄関で大声で騒ぐ声にびっくりして、私は板でくくりつけた足をひきずりながら玄関に出て見て驚いた。十二、三の少女から二十ぐらいの娘が十名程タンカに乗せられて運ばれていた。それはまともに上から見ることの出来る姿ではなかった。その全員が裸で、まだ恥毛もそろわない幼い子供の恥部は紫に腫れ上がって、その原形はなかった。大腿部は血がいっぱいついている。顔をゆがめつつ声を出しているようだが聞きとれない。 次の女性はモンペだけをはぎとられて下の部分は前者と同じだが、下腹部を刺されて腸が切口から血と一緒にはみ出していた。次の少女は乳房を切られて、片目を開けたままであったから死んでいるのかもしれない。次もその次も、ほとんど同じ姿である。・・・・・。一週間私はこの病院にいて毎日毎日この光景を見て、その無惨、残酷さに敗戦のみじめさを知った」 されど、わが満州・・・・ 「満州や北朝鮮からの初期の脱出者は悲惨で、今も念頭を去らないいくつかのエピソードがある。北朝鮮で農業を営んでいた老夫婦は、年頃の娘二人を連れ、辛苦のすえやっと38度線近くの鉄原にたどりついた。そこで見たものは、日本人の娘達がつぎつぎにまずソ連兵に犯され、ついで朝鮮人の保安隊に引き渡されてさらに散々に辱められたうえ、虐殺されている光景であった。折角ここまで連れてはきたが、最愛の二人の娘達もまもなく同じ運命をたどるであろうことを不悩に思い、近くの林の中の松の木に経って自決させ、これはその遺髪ですといって私に見せてくれた」 ある戦後史の序章・・・ 満州からの引き上げに伴って凌辱・虐殺された日本人の多くは野に打ち捨てられ、まともに弔われることはありませんでした。 戦争の真実を語り、戦争の残虐さ、敗戦の悲惨さを後世に伝えることは敗戦を経験した我が国の使命です。 戦争の敗戦の悲惨さを後世に語り継ぐこと、 これが市街地を焼き払われ、原爆を落とされ、遠く異国の地で踏みにじられ打ち捨てられた幾万の屍に、現在を生きる我々が報いることのできるたった一つの方法です。 戦後の混乱の中急成長を遂げたわが国には、敗戦国だからこそ伝えられる戦争の真実を、戦争の悲惨さを後世に残す義務があります。 これも我が国にできる「国際平和に貢献」する一つの道ではなないでしょうか・・・ しかしだからと言ってアメリカやロシアや韓国を恨んではなりません、それが戦争の狂気なのですから、 他人を恨む心からは何も生まれやしません、そこから生まれるものは新たな憎しみと狂気だけです・・・ 狂気を繰り返さないことだけが犠牲となった屍に我々が手向けられる唯一の供花なのですから。。。 今日は上堰潟公園の稲わらアートのお話・・・ ではまた・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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