テーマ:道の駅(275)
カテゴリ:新潟観光日記(イベント編)
さて今日は毎年恒例和島の吊り雛のお話です。
もうすっかり恒例になっていますが道の駅「わしま」の吊り雛の展示です。 まあ道の駅と言っても吊り雛の展示はこの道の駅の付帯施設 地域交流センター「もてなし家」と良寛の里美術館の2か所での展示です。 いわゆる道の駅の施設からはちょっと離れていますが、道の駅「わしま」はこの地域交流センターと2か所の美術館(良寛の里美術館と菊盛記念美術館) これらを合わせた施設となっていますので一応道の駅の吊り雛展示ということで・・・ ず~っと以前に雛祭りの起源ということを日記に書いたことがあるのですが、まあ随分と前の話ですので初期のブロ友さんしか知らないでしょうね。 雛祭りに雛人形を飾ることにどんな意味があるのでしょう? 人形というものは依代という意味もありましてね、 人の穢れを引き受けてくれるもの、身代わりちう意味合いもあります。 雛人形にもこのような依代・身代り的意味合いもあるのですが、依代、身代わりであれば人形は1体あれば事足ります、 五人囃子や三人官女は後から加えられたおまけとしても男女一対の雛人形の形式はかなり古くからあり、 雛人形が二体一組であることは疑いようもないですね。 なに、夫婦二人の依代だって?、 まあそんな考えもできない事もないのですがちょっと違いますね。 雛祭りは女の子の節句、なんて言われますね、なんで女の子に限定されているのでしょうか? 夫婦共通の依代という意味合いでの雛人形なら女の子に限定する必要などないはずですね。 なぜ「女の子」の節句なのか・・・ それはね「雛祭り」が呪詛の名残だからです。 雛人形は男女一対、男女和合の証、子授けの呪術の名残です。 雛祭りはもとは公家の間から流行したもの、 公家たちはしきりにわが娘を天皇に嫁がせ、次の天皇になる皇子を生ませることを願ったのです。 その名残が雛祭りです・・・ 我が娘が次の天皇となればその外祖父として一族の政治力を強化・維持する外戚政治が長い間行われてきました。 こうして権力をふるったのが藤原氏、曽我氏、物部氏、尾張氏、大友氏、あげていけばきりがありませんね。 平家に非ずんば人に非ず、平清盛もこうして外戚政治を行ってきた人物の一人ですね。 一方でこうした政治の道具として使われた娘の方はどうかというと・・・ 上手く男の子を生み落としその子が次の天皇になれば、その母は天皇の実母、 絶対的地位を手に入れることができたわけです。 まあこうして呪術に頼ってでも娘に子を産ませることは娘の幸せにもつながっていたわけですね。 こうして書き進めていくと豪華な七段飾りも何となく禍々しいもののように見えてくるでしょう? こうして公家の間で流行った子授けの呪術はやがて呪術の側面を脱して豪華絢爛な行事へと変わっていきます。 我が子に男子ができることを願う親の願いは、やがて子の幸せを願う親心へとすり替わっていきます。 度を越えて華美になっていく雛祭りはやがて庶民の間にも広がっていきます、 公家の間で流行した華美な雛飾りは形を変え素朴な吊り雛へ変わっていく、 そこには子が飢えぬよう、子が病に苦しまぬよう、子が金に困らぬよう、様々な親の思いが個々の飾りへと形を変えていきます。 この小さな吊り飾りの一つ一つに子を願う親の心が込められています。 食い物に困らぬようにという願いが込められた俵ネズミや三番叟。 安産や健康を願った兎や犬・・・ 吊り雛の飾りはもともと各家庭で作るもの 一針一針子の幸せを願い、作り上げていくのが本来の吊り雛の形でしてね・・・・ そんなことを思いながら眺めると・・・ 豪華絢爛な七段飾りも良いけれど、素朴な吊り雛飾りも良い物でしょう? 子の幸せを願う親の心に公家も庶民もないのですよ・・・ 今日はちょっと長い日記になりましたね、 わしまの吊り雛飾りのお話でした・・・ ではまた・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[新潟観光日記(イベント編)] カテゴリの最新記事
|
|