|
カテゴリ:思い出(社会人・海外)
今年も夏休みの終わりに、次女の宿題が終わっていない。小学校に入学してから中学3年生の今回まで9回連続で最終日に夏休みの宿題を終わらせないまま新学期を迎えることとなった。 お母さんは毎年子供達が宿題を放置して夏休み前半を過ごすことが信じられないと嘆いているが、お父さんは自分もそうだったのであまり驚きはない。そもそもお母さんの様に前半でほとんど宿題が終了している子供の方が珍しいのではと思っている。
ただしお父さんは、さすがに終わらないまま新学期を迎えるということはしなかった。31日の夜は毎年徹夜にちかい状態で宿題をこなしていたが、無理やりではあるが新学期にはすべて終わらせていた。まあ威張るようなことではなく、それが周りの同級生でも当たり前だったと思う。クラスの数人が終わらないまま新学期を迎えていたような気もするが定かではない。昔過ぎて忘れてしまった。
次女が問題なのは、勉強が嫌いすぎてもう間に合わなくなるという状態でも「やりたくない」が勝ってしまうことである。これほど勉強に拒否反応を示す子供はそうはいないだろう。間に合わなくても必死でやるのが普通である。
将来次女の闇歴史になるのは確実であるが、彼女はお母さんから怒られ、お父さんからも宿題をやるように命令されると泣きながらトイレにこもってしまう。最低30分、長いと2時間弱ほどはこもっているだろうか。おそらく中で寝ていることもあると思う。そうでなければ2時間もトイレにいてやることがないだろう。
夏休みの宿題だけでなく、通常の宿題も次女はやらない。指摘されると学校に忘れてきたとウソをつく。塾の宿題も「ない」と言い切るが、塾の先生から定期的に「宿題を全くやってこない」とクレームが入る。 そういう状態を見るたびに、次女は生まれる時代を間違えたのではないかと思ってしまう。
次女は勉強以外は実に素直で以外に働き者である。気分がのらないとダメな時も多々あるが、もし彼女が江戸時代の農民の家に生まれていたら、せっせと働くよい女性として評価は高かったのではないかと思う。 親から見ても愛想はいいし、よく細かいところに気がつく。ちょっとした頼み事は嫌な顔をせずにこなしていく。
こう考えると、今の学校制度を作った人たちが彼女の人生を変えてしまったともいえるだろう。殖産興業、富国強兵をスローガンに日本人は全国民に教育をして国を強くしてきた。今でも教育の高さは日本国のウリでもある。 かつては4年間の尋常小学校のみが義務教育であったが、産業の高度化に伴い、高等小学校までの6年、中学校の3年の9年間が義務教育となっていった。これからは高校までの12年間が義務教育になろうとしている。
次女はあと3年我慢して学校に通い続ければ、この「学校教育」からは卒業できる。お父さんは次女の性格や行動を見ていて、社会で成功する素質は十分持っていると思っている。お父さんは技術系の仕事をしている関係上、数学も物理も化学もいまだに知識として必要としているし、海外で仕事をするので英語も使っている。だが古文や漢文は使ったことがないし、社会科系の知識も仕事ではあまり必要ない。ただ人生を豊かにする意味ではとても役に立っているとは言える。
お母さんは中学数学ですら、社会人になってからほとんど使っていないだろう。お父さんの両親も中学校はともかく高校の授業内容など生活に全く使っていないだろうと思う。それでも立派に生きてきて、3人の子供を育て、今では孫が8人もいる。 だから次女には、あと3年頑張ってほしいと思う。お父さんいとって知らない知識を知るというのは楽しいモノだったのだが、次女は少なくとも勉強という言葉にすでに拒否感を持っている。せめて最後の高校3年間が彼女にとって良い思い出となる生活であってほしいと切に願う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.09.02 00:10:17
コメント(0) | コメントを書く |