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じゅびあの徒然日記

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2012年10月15日
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受診を終えて帰ってきた姉が、私のところへやってきた。
わあわあ泣きながら、だ。
姉の話はざっとこうだった。

受診の付き添いのために少し早く余裕を見て呼吸器の病棟へ行ったら、主治医の先生が
詰所の中にいるのが見えたので挨拶をしようとした。
主治医の先生は看護師相手にブツブツ文句を言っており、その一部「ほんっとにあの家族!
治療をするだのしないだの、胃ろうだのなんだのグジャグジャ言いやがって!」が
ばっちり聞こえてしまった。
すぐにうちのことだと分かったので、声をかけられなくなってそっとその場を離れ、
5分くらい時間を潰してから、改めて詰所へ行って知らないフリをしなければならなかった。

泌尿器科の先生は部長のようだったけど、親切な先生で、説明もよく分かった。
主治医の先生が、カルテに書いてたの、見えちゃったんだけど、何て書いてあったと思う?
「家族が自己中心的で自覚・認識が無さ過ぎる!」って書いてあったのよ!

...聞いた途端、私もどっと涙が出てきた。

その後、また主治医の面談(むろん、平日昼間)に呼ばれ、腹膜転移が広がっており、
もうイレッサは効いていないと思われるので中止すること、転院や施設への退院は
難しいと思うので、このまま当院で看ることにします、というような説明を受けた。
最後まで診てくれる、ということだったので、「ありがとうございます。
よろしくお願いします。」とぐっとこらえたが、面談に臨む私の顔は、
相当引きつっていたと思う。
それでもその時
「母はずっとこの病院ならば助けてもらえると信じて、治療を続けてきました。
転院しないで最後まで置いてもらえるのならば、安心すると思います。
母はイレッサのおかげで、遠隔転移があっても、4年間生きることができ、
自宅で生活を続けることができました。
副作用の足の潰瘍はきつかったですけど、母はイレッサを命の綱と思って、
『副作用が辛いと言って、中止されると困るから』と黙ってのんできたのです。
どうか母には、イレッサを中止したことを伝えないでください。
母には最後まで、治療を継続している、まだよくなれると思ったまま逝って欲しいのです。
新しいもっといい薬が出たから、と胃薬でも何でもいいので、出してやってくれませんか?」
というようなことを、言った記憶がある。

まだ生きると思うので胸膜癒着術をするかしないか、という話をし、その後すぐに
半年くらいは生きるからと転院を指示され、転院先が確保できず施設の好意を受けて
胃ろうを頼み、尿閉が出て泌尿器科を受診し、転院は無理といきなり撤回されるまで、
たった1ヶ月ほどだった。
結果だけ見ればあれだけ言われて悩んだ末に、本人の今後の苦痛を和らげるためだからと
トライした胸膜癒着術も、転院先を当たったことも、施設ともう一度掛け合ったことも、
主治医によい印象を与えないのを承知で頼んだ胃ろうも、みんな無駄だったことになる。

その後1週間ほどで、母の呼吸状態が急に悪化し、もう経口では何も受けつけなくなり、
いつ亡くなってもおかしくないという連絡を受けた。
不思議なことに母は自分が何も食べていないことに気づいておらず、
私が何か食べたいか尋ねると、思い出したように「そういえば今日何も食べてなかった」と
言うのだった。

母が食べたいというので、よく一緒に泊まりに行った旅館に急遽頼んで、
名古屋コーチンの卵でできたカステラを取り寄せ、持っていった。
事情を話すと本来料金前払いなのに、私が振り込むより先にお送りくださったI旅館さん。
病院には許可を得て、もちろんそれで誤嚥して、死亡する可能性があることも承知の上で、
小指の先ほどのサイズにちぎって口に入れてやった。
「このカステラ、どこのか分かる?福●屋とか、文●堂とかじゃないよ。」
「そりゃわかるさあ、Iの。」
「当たり!また元気になって一緒にみんなでIへ行こう。牛ヒレの塩釜焼を食べようよ。
露天風呂付きの一番いい部屋をとってさ。ここで治療してもらってるんだから、
間違いないよ。」
「そういえば昨日東京のお兄ちゃんが急に来たのよ。出張だったので帰りに寄ったって。」
私はボロボロ泣いていたのだが、声だけは震えないようにこらえていたので、
意識の混濁した母は私が泣いているのに気づいていないようだった。
そのふたかけほどのカステラが、母の口にした最後の食べ物になった。

「神様のカルテ」でカステラの話を何回読んでも泣けるのは、そのせいかな、と
今急に思い当たった。





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最終更新日  2012年10月15日 23時29分21秒
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