尊厳死ということ(最後)
それから1週間足らずで母は亡くなったのだが、部長先生とお会いする機会があり、その時に先生がおっしゃってくださった。「いやじゅびあ先生、あの時おっしゃってくださってよかったのだよ。言われなければ、Sはずっと自分の間違いに気づかなかった。彼女はきっと、先生に教わったことをこれから先、いい経験にしていくと思う。」実は主治医の女医さんにもちゃんと謝礼を送ったのだが、「私のような未熟な者に、ご丁寧にしていただいて」というような返事の葉書が来た。ただ、字がすごく悪筆で(笑)びっくり。最後にもうひとつだけ、私が母の頼みを守らなかったことがある。母が亡くなった時休日だったので、死亡確認してくれたのは、主治医ではなくて、どこかの科から来た当直の若い男性医師で、これがチョーイケメン(爆)。すぐナースがぞろぞろ来たし、死亡確認の後、私が自分でもう一度対光反射診たり、頚動脈確認したりさすがにしなかった...。まあ、いいじゃん、若くてチョーイケメンの先生に確認してもらったんだからさ、お母さん。姉も同じことを言っていたっけ。尊厳死、というととかく在宅での死とか、無駄な延命治療をしない、病院で点滴やら呼吸器やら管だらけで死なないこととか、とイコールに捉えられがち。でも、母のように、とにかく1日でも1時間でも1秒でも長く、この世の空気を吸っていたい、と思うのもひとつの自分で選ぶ終わりの形。長くなったけど、そういうことが言いたかったのです。