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じゅびあの徒然日記

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2012年10月15日
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いつ亡くなっても不思議はない、と言われてから、母は約1ヶ月頑張った。
それでも亡くなる1週間前ほどからはみるみる弱ってきて、眠っている時間が
多くなっていた。

その頃、おそらく最後になるであろう主治医面談に呼ばれた。
私は、指導医の先生(その先生は呼吸器科の部長で、癌が見つかる前から世話に
なっており、外来ではずっと主治医だった)に同席してもらえるかどうかを尋ねた。
同席してもらえる、とのことだったので、私はまたもや万障繰り合わせて、姉と
一緒に出向いた。
あとわずかの間なら、せめて主治医を替えて欲しい、と掛け合うつもりだった。
姉が「医者のあなたより、私が言うほうがいいと思うから」と言い、一通り説明を
聞いた後で切り出してくれることになっていた。

これ、改めて考えると、「主治医を変更する」って発想がすごく精神科医的。
後にも先にも、あの有名総合病院で「主治医だけ替えてくれ」って頼んだの、
私たちくらいかもしれない。

説明は、あと1週間以内だと思う、という、予想通りのものだった。
というよりその後切り出すことばかり考えて、ほとんど頭に入っていなかった。

姉が、交代要求をした途端、主治医の女医さんが固まった。
姉の話を聞いた部長先生が「どうして、あなた、そんなことをカルテに書いたの?」と
若い女医さんに言った。
「僕は長くお母さんを診てきたけど、いつも旅行に連れて行ったり、受診に連れて来たり、
本当によくやってくれるお嬢さん方でお母さんは幸せだと思っていた。
そんなこと一度も思ったことないよ。」
「いつも患者さんが、娘さんが来てくれなくて寂しいと言っておられました。
私が自分の親だったら、こんな風にはしないと思ったし、いつも施設に入れることばかり
言って胃ろうを入れろとか、そんなの家族のエゴイズムだと思いました。」

精神科の病棟は、出入りにチェックがあるから、家族の面会は逐一フローシートに
記録されている。
だが面会時間内であればそのまま素通りで出入り可能な一般の身体科の病床では、
誰がいつ面会に来たかなど、各患者のカルテや看護記録に記載されていない。
母は、午前中に面会に行っても午後にもう「面会に来て欲しい」と電話してくるような
人だったし、昨日面会に来たばかりで続けて来ても「ああ、やっと来てくれた」なんて
言うものだから、姉はよく腹を立てていた。
私が耐えかねてそれを言うと、主治医の女医さんは「お姉さんはよくいらしていると
思いますけど、妹さんはそんなに来てないですよね」と言い放ったのだった。

同じ女性医師で、子どももいて(あちらのほうがお若いので、子どもは乳児だが)、
分かっていそうなものなのに、そんな言い方をされると思わなかった。
ひょっとしたら精神科医なんて、内科医に比べれば暇だと思っていたのかもしれない。
私がバツイチで、医師をしながら女手ひとつで双子の子どもを育てていることなど、
精神科医のように家族歴など見ないので、彼女は気づいていなかったのだ。

「仕事が終わってから、子どもの送迎もあります。
それでもその合間や、子どもを迎えに行った後、そのまま来たりして。
洗濯物などは姉に任せていましたが、施設の頃から最低でも週に1回は必ず来るように、
危なくなってからは週に2~3回来ていますよ。
だからここのところ家では夕食を一度も作れず、連日外食で子どもにも我慢して
もらっていました。
転院の検討を指示された時、先生は自分の病院にまたとってもらえばよいと思ったと
思いますが、前の勤務先では、家でどうにもならなくなった母を一時入院でお願いした
ことがきっかけとなって退職に追い込まれました。
あなたは覚えていらっしゃらないようですが、あなたがローテート研修でいらした精神科病院です。
私は今度の病院でまた退職するわけにはいきませんので、身体管理がメインになった
母をもう一度とってくれと言うことはできませんでした。
かといって、精神症状のある患者を、一般の内科病床しかもたない後方病院が、
いかに受けてくれないかということを、私は常日頃から知っています。
だから施設にお願いするしかなかったですし、医学的に胃ろうなど無駄だと分かっていても
お願いするしかありませんでした。
施設に入れることばかり言う、とおっしゃいますが、先生はカルテをご覧になっていますか?
病歴が何年あるか、ご存知ですか?
私、夜中に泥棒が入ったと騒いだり、医師としてどう見ても緊急性がないのに、早朝から救急外来へ行くと言って聞かなかったりする母を4年、仕事と育児をしながら自宅で看ました。
なのにこの1ヶ月ちょっとだけ診ている先生から、どうしてそう言われなくてはならないのですか?」

彼女は胃ろうなど造って、管だらけにして、無駄な延命をするのも、
苦しみを長引かせるだけで、家族のエゴだと言った。
しかし、母がまだ元気な頃に私は、延命治療について話したことが何度もある。

私が自分には無駄な延命治療をして欲しくない、というような事を言うと、
また、テレビで尊厳死などを取りあげた番組があるたびに、母は言った。
「あなたたちは若いから、平気で自分には延命治療をしなくていい、なんて言う。
でも私のように年をとって、だんだん死が近づいてくると、そんなことは
言っていられなくなる。」
「私はたとえ癌の末期だろうと、もう治らない病気だろうと、一日でも長く生かしておいて
貰いたい。医学は常に進歩しているから、今日なかった薬が、明日はあったりする。
一日長く生きていたら、治療できる病気になるかもしれない。いくら医者に勧められても、
絶対に延命治療を断らないで欲しい。」
「もし病院で、私のことを死んだと医者が死亡確認しても、すぐに信じて火葬したり
しないで欲しい。本当に生きていないのかあなたが何度も確かめてちょうだい。
世界には死んだと思っていたら生き返ったっていう例がいくつもあるんだから。」
ここまで世間体?を気にせず、生に執着できる母を、すごいと思ったものだ。

「そうですか、お母さんはそこまでおっしゃっていたんですね」と部長先生が頷いた。
「だから、私は、ここへ入院する時に、延命治療について『人工呼吸器を使わない』と
いうところに丸をつけるだけでも、母の意に反しているという罪悪感にさいなまれました。」
「いや、もういいと思います。ご家族はやれることを全てされた、そう思って頂いていいと
思いますよ。
今回のことは完全にこのS(女医さん)が悪い。私も指導医として、心からお詫び申し上げ
なければなりません。」
「もうあとたった1週間なら、せめてその1週間だけでも、母との最後の時間の共有に
集中したい。
母の亡くなろうとしているこの時にまで、他の余計な辛い思いを入れたくないので、
主治医を替えてほしいとお願いしたのです。」

ここで若い女医さんも、涙を流しながら言った。
「私の思い込みで、本当に申し訳ありませんでした。もしお許し頂けるのなら、最後まで
私に診させてください。」
「もし少しでもお時間がありましたら、カルテを読んでやってください。
それでいいです。」
と私は答えた。





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最終更新日  2012年10月15日 23時30分09秒
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