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テーマ:世界遺産紀行(1093)
カテゴリ:ペルーの遺跡
ペルーの古都、クスコの中心部が世界遺産になった理由は二つある。
一つは植民地時代の街並みがきれいに残っていること、そしてもう一つは失われた文明、インカ時代の建物の様子も見られるということ。 ガイドブック、報道等でよく”インカの壁”という呼び方を聞く。でもこの言葉で呼ばれているものが必ずしもインカの時代のものとは限らない。 たとえば2005年12月19日チリ人によって落書きされた”インカ時代”のシエテクレブラス通りの壁。 シェテ・クレブラス通とナサレナス広場角の壁 国内外の新聞はこぞって“インカ”といっていたが、これはまちがいである。 これは植民地時代のインカ、”インカ・コロニアル様式”とよばれる壁。 スペイン人が入ってきてからインカの人々が建物を建てようとしたが、全盛時の精巧さはなくなってしまっているのだ。 リベルタドーレスホテルのもホテル側はインカの壁といっているけど、これもウソ。 ところどころガタガタでしょ。壁もまっすぐに立っている。 ホントガタガタ。リベルタドールホテルの玄関 インカの壁はもっと精密だし、内側に傾斜しているのが特徴。 すぐ近くのコリカンチャとかマルリ通りの壁を見ると違いは一目瞭然。 これが本物。マルリ通。内側に傾斜したのがインカ時代の壁の特徴。第10代皇帝の宮殿だったとか・・ シェテクレブラスやリベルタドールホテルのはインカ・コロニアル様式は、インカぽくしたいけど、インカの時代のものほどきれいにできない“なんちゃってインカ”なのだ。 神殿や宮殿の建築は本当にかみそり一枚通さず、医師の高さがピッタリ揃っている。そして忘れちゃいけないのは内側への傾斜。 これはエクアドルのインガピルカ遺跡も同じ特徴を備えている。 こういうのってずっとインカ時代の遺跡を見て回っていると、観光客でもおのずと差がわかってくるのだ。 インカの文化を勉強するなら・・ インカ帝国歴史図鑑 図説インカ帝国 インカ国家の形成と崩壊 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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