フリフリ版国民生活白書
2007年版の国民生活白書によると人々の「つながり」が希薄になっている事が個人の精神的不安定、家庭でのしつけ不足、地域の防犯機能や企業の人材育成能力の低下など、経済・社会に深刻な影響を与えるということだそうだ。家族と一緒に過ごす時間、隣近所との往来、職場での人とのつきあいを確保している人の方が精神的やすらぎを得られる確率が高く、生活満足度を感じる傾向にあるとも。ニュースを読むと、なんだか大雑把な捉え方だなぁと思う。もっともらしい分析をしているように思えるが、なんか腑に落ちない。そもそも「人々のつながり」とやらに着目することが、時代の風潮にあわせたウケ狙いっぽい感じがして胡散臭いと思ってしまう。「人々のつながり」って具体的に何ですか?抽象的な事柄を、何を指標として測ろうというのか、明確でない。IT化の進んだ社会で働きすぎれば、人付き合いは薄れる、みたいなことを言っているけど、働きすぎている人々が必ずしも人とのつながりを希薄にしているわけではないと思うよ。むしろ、長時間働かないとやっていけないという労働条件とか、賃金のありかたに問題があるからこそ、孤独に働き続けておかしくなる人が増えているのでは?ITでも企業家や社長なら働きすぎても元気に大活躍してでしょ?過酷な条件で雇われている人が問題なわけで、それを軽いノリでなんとなく情報社会のせいにしているあたりに、この白書の軽さを感じてしまう。「家族と一緒に過ごす時間、隣近所との往来、職場での人とのつきあいを確保している人の方が精神的やすらぎを得られる確率が高く、生活満足度を感じる傾向にある」というのは、当たり前で、こんなのは分析でもなんでもない。家族に問題があったり、近所とトラブルがあったり、職場にセクハラやイジメがあったりするから「つながり」をあえて拒否する人がいるわけで、むしろ問題を抱えた家庭、近隣トラブルの増加、職場環境の乱れがいかに多いかを調査して具体的な分析をすべきではないだろうか?なんだか「木を見て森を見ず」な感じなんだよね。こんな調査は怠慢じゃねーの?と思ってしまう。学生が卒論をテキトウにやっつけているような印象を持ちました。白書では人のつながりの再構築が重要だと指摘し、そのために政府が<1>有給休暇の取得促進などによるワーク・ライフ・バランスの推進<2>地域活動などに関する情報提供<3>家族や地域のきずなを再生する国民運動の展開――などを行うべきだと提言しているそうだが、この3つ、いくらやっても無駄だと思う。ブーイングされるだけだと思う。お利口な答えではあるけど、現実的にはそんな事にエネルギー使うなと言いたい。でも、きっとここに上げた3つは、役人がやるには簡単でやりやすい仕事なんだよね。この3つで予算組んで、お利口なことを言ってまわればいいという。ムダだ~。もっと現実を調査せよ。例えば職場での人付き合いが希薄化したのは、若者が酒を飲まなくなった事、煙草を吸う人と吸わない人の確執などがけっこう原因になっていると思う。あと、能力主義の給料体系になったことで、自分の仕事具合や給料を他の社員に知られたくないというのもあるだろうし、足の引っ張り合いなどを懸念して、あえてつきあいをしないという向きもあるだろう。趣味やライフスタイルが個人個人でバラバラになったことも、同僚や上司とつきあえない理由だ。家庭でのしつけ不足については、他人にあれこれ言われたくない親が増えているから身勝手なしつけになりがちなんだろう。テレビのCMでも他人に自分の子供が叱られたことを不満に思っている母親が旦那に「叱ってくれる人がいるのはいいんじゃないか」とたしなめられるものがある。私個人は、この旦那の考え方は甘いと思うけどな。その「叱ってくれる人」が異常者な場合もあるだろうから、「叱ってくれる人」と親は相手が異常者ではないかどうか確認するためにもコミュニケーションを取る必要がある。そこをわかっているか?叱ってくれてありがとう、みたいなことを言うと図に乗るタイプもしるしね。セキュリティの点からもむやみに他人と関わらないほうが良いと考えるのはあたりまえ。私達はみんな漫画や映画で見るような素適な街に暮らしているわけではないのだから。核家族スタイルだって、舅や姑にあれこれ口を挟まれたくないという願望があったからこそ進んだのではないの?いまさら「人のつながり」を回復させようとしたって、もともとイヤだからつながりを絶ってきたわけで、人のつながりを云々するより、親をやっている人たちに「しつけの仕方」をしっかり教える講座でも開設すればいいわけですよ。とんでもない親の場合は、親を矯正施設に入れてみるとか。前々から提案しているけど、親になるのは資格制にしたらよろし。試験をパスしてから産んでください。そもそもこれは教育の低下が招いていると思う。現代の人々は、正直いって家族と一緒に過ごす時間より自分の時間が大事、隣近所との面倒くさいお付き合いはなるべくしたくない、職場でのつきあいは、お金と時間の無駄、くらいに考えているでしょう。そもそも景気が良いわりに、人々の暮らしが苦しい現状で、ひとづきあいはしないほうが得です。ひとづきあいというのは、とてもコストがかかるものなのです。上司とうまくやるには贈り物をしたり、お中元お歳暮を贈ったりしなくてはならないので、そういう慣習のない職場を選ぶわけです。人間関係の希薄な職場が気楽でいいんです。近所づきあいだって、何かもらったらお返ししなければならないし、町内会やらなんやら責任を負わされる事もあるし、ヘタなことをすれば噂をたてられてしまうので、いつも気を使うし。顔も会わせず、挨拶もしない関係なら、何も面倒はないわけです。家族についても、どんだけ歳をとっても素適な娯楽がキラキラしている世の中になり、子育てよりも自分の趣味に金をかけたい親と、親からできるだけ金をせびりたい子供のバトルなわけです。家庭も愛よりも欲になってきているのです。おとうさんは、家族と顔をあわせたくないからいないのです。お母さんは子供にあれこれ要求されるのが面倒だから働きに出たいのです。「働く」それが大義名分となって、好き勝手なライフスタイルができるのです。「家族と一緒に過ごす時間、隣近所との往来、職場での人とのつきあいを確保している人」とは、つまり、不労所得者とか、お金持ちとか、自分は会社を経営しているか役員という立場、年金ライフ満喫中の老人とか、そういう人々なんじゃないでしょうか?おそらく調べれば格差が見えてくるでしょう。そこまで調べてほしいものだ。でもそこまで調べてしまうと、役人の仕事が複雑になるのでしないんだろうな、きっと。一番の解決策は、国民の生活をもっと豊かにしてやることですよ。給料上げてやることですよ。お金がないと人付き合いどころじゃありませんよ。衣食足りて礼節を知るんですよ。まずは衣食を豊かにさせてくださいよ!ってんだ。なぁ、兄弟!