阿呆が心酔した自己啓発プログラム
私がまだ小学生だった頃、父は「自己啓発」に燃えていた。父は、とある有名な(?)自己啓発プログラムとやらを購入し、毎日毎日、来る日も来る日も、そのプログラムのテープを聴いていた。そのプログラムのセットは、テープが何本かと、立派なバインダーのセットで、当時の印象としては、なかなかゴージャスなパッケージになっていたように記憶している。かなり高額なモノのようだった。「上昇志向」を表しているのか、妙な「矢印」がそのセットのトレードマークになっていて、マークをあしらった、サイコロ?なども付録になっていた。父は、得意げにそのサイコロを転がしてみせたりしたが、子供の私には、つまらないモノでしかなかった。プログラムの実行については、1本のテープを「繰り返し聴く」ということが大切なことのようで、父は、毎日大きな音でテープを聴いた。聴くのはかまわない。しかし、家中に響き渡る大音響で聴くものだから、朝から騒々しいったらなかった。朝聴いて、また昼にも聴いていたりするくらい、父はそのプログラムに心酔していたようで、休日には、家族も朝からそのプログラムを否応無しに聞かされてしまう。我が父は、大変、自己顕示欲の強いナルシストであった。父にしてみれば「オレが聴いているこの素晴らしいテープを、お前達にも聞かせてやろう」というつもりがあったのだろう。迷惑千万なことである。「もうやめてくれ」という家族の懇願は聞き入れられることはなく、家族はウンザリしているのに、父は「これは素晴らしいんだ」と言わんばかりに、家族の抵抗があると、さらに大音響で、テープをかけまくるのであった。田舎の一軒家だったから、やりたい放題である。おかげさまで、そのプログラムを小学生の私は、ほとんど学習してしまいました。というか、テープの内容を頭に刷り込まれてしまった。それから時は経ち、小学生だった私も社会人になった。入社した会社は、病的なくらいに上昇志向が強い風土。(例の「盗聴」の会社であります)ある時、会社が費用を負担して、自己啓発のプログラムを与えるので、選抜された者は、鋭意プログラムに取組んで欲しい!なんていうお達しがあった。それは、見覚えのあるプログラムであった。「まだ、あったのか、コレ」と思ったが、そんなモノを知っているのは、私だけのようであった。同期の男性が、プログラムセットを会社から渡された。ためしにテープを1本聞かせてもらったが、ナレーションの人が変わっていただけで、内容は似たようなものだった。10年経っても変わってないというのは、どうなん?これを聴きまくっていた父は、結局、事業に失敗し、どんどん転がり落ちる人生となっていった。そんなモノに、会社が大枚をはたいて取組むなんて「もったいないな~」と思ってしまった。すでに世の中を斜に見るクセもついていた私は、「そんなの小学生の時に聴いちゃったもんね~、あはあは!」などと得意げに皮肉なコメントを連発。周りの反応は「小学生の時に聴かせると、こんな風になっちゃうんだね~」だった。チッ、悪かったな「こんな風」で。そのプログラムは、いまだに存在している。「阿呆に聴かせると、もっと阿呆になる」のは間違いない。