テキトーコラムニスト・桜木悟史の仕事論
前回の転職に関するコラムに続いて、仕事論の話をしようと思う。▼前回のコラムはこちらhttp://plaza.rakuten.co.jp/freestyleoffice/diary/201407090000/ただし、この考えを人に押し付けるつもりもないし、適当に読み流してもらえればいいと思う。でも、日本人は仕事というものに対して、マジメに考えすぎる傾向があるので、いい意味でその考えを壊して、あなたの気持ちが少しでもラクになれれば、私がこのコラムを書いた甲斐があるというものだ。前回はダラダラと長文を書いてしまったので、今回はその反省を活かして、ポイントを3点にまとめようと思う。◆ポイント1:どんな基準で仕事を選べばいいのか?2:やりがいのある仕事なんて存在しない!!3:結局、仕事って人生において何なの?------------------------1:どんな基準で仕事を選べばいいのか?仕事を選ぶ基準を大きくわけると、3つに分類できる。・仕事の内容・給与などの条件面・働く環境まず、仕事の内容について。これはよく本などで「好きなことを仕事にしよう!」とか書いてあるけど、これは半分真実だし、半分ウソである。確かに好きなことを仕事にできたら、理想的かもしれない。好きなことをしているだけで何の不自由もなく暮らせる。これは素敵だ。でも、現実はどうだろうか?多くの人が好きなことを仕事にして、苦労しているのも事実だ。ここで冷静に考えてほしいことがある。「果たして趣味を仕事にして、本当に楽しいか?」という点だ。趣味なんてものは、自分の生活を深く関係しないからこそ純粋に楽しめる。そこに金の算段が加わった時に、あなたは純粋にその趣味を楽しめるだろうか? こういうことである。また、自分が得意なことを仕事にするという考え方もある。これは経済学の観点から言えば、正しい選択ではあるのだが、ここで根本的な疑問を呈したい。「あなたが得意だと思っていることは、本当に得意なことなのか?」これはいじわるな質問かもしれない。でも大切なことだ。意外と多くの人が「楽しんでできること=得意なこと」という勘違いをしている場合が多い。その理由は、人間は生きてきた中で、そう多くの成功体験を経験はできない。そんな中で数少ない成功体験には快感を覚え、「それが得意なこと」だと思い込む。それが本当に得意なことならばいいのだが、実際の社会でその能力がほとんど通用しなくて悩んでいる人もいるのではないだろうか?人間の得手不得手を分類してみると「ごく僅かの得意なこと」「ごく僅かの苦手なこと」「大半の未経験なこと」の3つに分類される。実は、ほとんどが未体験なのである。なのに食わず嫌いをしてしまう、本当に得意なことがその中に隠されているかもしれないのに。つまり、あなたが得意だと思い込んでいるものは、ごく僅かの少ない選択肢から狭く選択されたものであり、もっと広い視野で自分の可能性を見つめてみる必要があるということだ。次に、給与などの条件面で仕事を選ぶ方法についただ。これは「仕事=ご飯を食べる術」と割り切る考え方だ。この考えも悪くはない。ただ、これは「人生における仕事とは何か?」という問題と関係してくる。なので、3番目のポイントのところでお話ししたい。最後に、働く環境についてである。環境というと定義が広くなるので、ここでは「一緒に働く人(同僚、取引先、仕事のパートナー)」という定義にしたい。結論から言うと、これが最も重要である。私の経験から言うと、まず最初の総務の仕事は外資系だったということもあって給料もよかったし、たぶん黙って仕事をしていれば、役員クラスにまでなれた自信もある。つまり条件は完璧だった。次の出版社では、少し形は違えど、自分がやりたかったマスコミの仕事に就いて、本の編集までやることができた。つまり、自分の好きなことを仕事にできたわけである。でも、結局、私は2社とも辞めた。それはなぜか? まず1社目は前回のコラムにも書いたが、同僚に恵まれなかった点が大きい。これでストレスが溜まりすぎて、何もかもが楽しくなくなったからだ。一方、2社目の出版社では、周りの女性社員からも(それなりに)愛されていたし、部署も任されて、部下からも慕われていた(と思う。笑)でも、その一方で、一気にNo.2に登ってきた私に対して、周りの人間はそれに対抗してこようとしてこなかった。たぶん、そのまま在籍していれば、すぐにでも会社のNo.1になっていただろう。でも、それでいいだろうか。それは成長と言えるのだろうか?人間の成長を考える上で、もちろん本人の努力も重要だが、それ以上に「周りの環境」が重要だ。背が低い森の中で、頭ひとつ抜け出した木はどうなるか?不思議と自然のうちに周りの木々と高さを揃えてしまうのだ。だから、あなたが成長したいと思うならば、低い森を抜けだして、新しい土地に根を張るべきなのだ。これが私が考える「仕事における環境の重要性」である。2:やりがいのある仕事なんて存在しない!!2番目のテーマは「やりがいのある仕事」である。これも上に挙げた3つの軸とは別次元のところで、よく仕事を選ぶ理由として言われることが多い。ただ、先に言っておく。「やりがいのある仕事なんてものは妄想である」ここで、ひとつ質問をしてみたい。Q:工事現場でひたすら棒を振る仕事があります。これはやりがいのある仕事だと思いますか?棒というのは、あのライトセイバーみたいなやつのこと。車とかを誘導するアレ。ひたすら棒を振って、車が工事現場に突っ込まないように車線変更を促す。ただ、それだけの仕事。最近では、ロボットみたいなのが自動的に棒を振ってたりするので、人間がやる必要がないかもしれない内容。これを「やりがいのない仕事」だと答えたあなた。なぜそう答えたのか?私もこの仕事はやったことがないので、はっきりとしたことは言えないが、ただこの仕事を20年とかやり続けてきた人に話を聞いたら、おそらく答えは「やりがいがある」と答えるだろう。たぶん、この仕事をやるにしても、「どうしたら運転手にはっきりと見てもらえるのか?」「雨の日の工夫」など、いろいろな話が出てくるはずだ。そして、彼らはそれを自信として、やりがいのある仕事としてこなしている。仕事や職種を「やりがいがある」「やりがいがない」で分類する考え方はすぐに捨てた方がいい。どんな仕事もやりがいは存在するし、問題はそれをあなたが感じられるかどうかなのだ。そして、それを感じるためには「仕事を究める」ことが必要だ。究めてもいないのに、面白さがわかるはずがない。もし最初からやりがいがわかるとしたら、それはドラクエで最初に出てくるスライムを倒して、「ドラクエ、超おもしれぇ!」って言ってるようなもんである。そんなマヌケな話はないだろう。あなたがもし今の仕事にやりがいを感じていないとしたら、それは仕事の内容は問題ではない。あなた自身の問題だ。もっとパフォーマンスを上げられないか?もっと付加価値を加えることはできないか?もっと人に喜んでもらうためには?こうした考えを突き詰めて、仕事を究めてから、仕事を向き合ってみてからでも転職は遅くはないはずだ。3:結局、仕事って人生において何なの?このコラムのまとめとして「仕事って何なの?」という話をしたい。この話を表面的に受け取ってしまうと、今までお話ししてきたことと矛盾を感じたりするかもしれない。ただ、おそらく他では聞けない思考回路だと思うので、最後までお付き合い頂ければ幸いだ。まず人生自体がなかなか解釈の難しい相手なのだ。哲学的にとか、生物学的にとか、いろいろな定義・考え方があると思うが、私はこう考えるようにしている。「人生とは、壮大なヒマつぶしである」あなたは人生に対してどう考えているだろうか。何も考えていないという人もいれば、生まれてきたからには何かを成し遂げたいという人もいるだろう。でも、私の考えでは、高い確率で長生きが可能な現代日本においては、人生は長すぎる印象を受ける。人生をフルに使って、何かを成し遂げようと思っても、その気力を維持するには長すぎるのだ。だから、これは神様から与えられたヒマをどう潰すか…ぐらいで考えるのがちょうどいい。そして、そのヒマつぶしの中で多くの割合を占めるのが「仕事の時間」である。これをどう考えるかで、仕事に対する考え方や取り組みが変わってくる。あなたは、ヒマを与えられたら、何をするだろうか。まず言えるのは、「何もしないでヒマを過ごすのはもったいない」ということだ。人生ゲームで考えてほしい。たとえば、どのコマに止まっても「3,000ドル(給与)をもらう」だけが続く人生ゲームがあったとしたら、それは面白いだろうか。圧倒的につまらないだろう。途中のマスに【結婚した】【大発明をした】【破産した】というコマがあるから面白いのだ。これが1番目のポイントで話した「仕事の条件面」と関係してくる。動物は、毎回同じ量のエサが出てくる器械よりも、ランダムでエサの量が変わる器械のほうにハマる。これは人間も同じだ。つまり、人間の脳は本質的には変化を好む。だから、変化は与えていくべきだ。しかし、残念ながら待っているだけの人間にハプニングやスパイスを与えてくれるほど神様もヒマではない。とすれば、自分から変化を求めていくべきだ。その変化というのは、転職のように環境を変えることであり、また視点を変えて今の仕事を究めることである。そうすれば、絶対に見える世界は変わるのだ。その上で、ぜひ刺激を感じる仲間と一緒にできる仕事を選んで欲しいと思う。仕事もあまり堅いことは考えず、常に「ワクワクするほう」「楽しそうなほう」へ進めばいい。どうせ仕事も“ヒマつぶし”なのだ。どうせヒマをつぶすなら楽しいことをやるべきだ。 ←人気ブログランキング参加中!