丸田隆「裁判員制度」平凡社新書
2004年5月21日に成立した「裁判員法」によって、2009年から裁判員制度が実施される。本書はこの内容と意義・経緯をコンパクトにまとめたものである。第1章では裁判員制度が始まると具体的にどのようになるのか、裁判員として呼びだされた架空の日の「私」の行動を紹介して、イメージが持てるように説明してる。第2章は、なぜ市民の裁判への参加が必要かが解説してある。これは、司法制度改革審議会の意見書の次の言葉に要約できる「このような諸改革は、国民の統治客体意識から統治主体意識への転換を基底的前提とするとともに、そうした転換を促そうとするものである。統治者(お上)としての政府観から脱して、国民自らが統治に重い責任を負い、そうした国民に応える政府への転換である。」という格調高いものである。この文章を読んで、私は山本七平「一下級将校の見た帝国陸軍」を思い出した。日本軍の兵士の集団が捕虜となると無秩序となり、ともすれば暴力による支配になったのに対して、シリア・ルーカス著「私は日本軍に抑留されていた」双葉社によれば、日本軍にとらわれた米軍捕虜は日本軍が員数確認以外に関心がないことがわかると、管理機関として、すぐれた専門家やビジネスマンたちの実行委員会が作られ、委員長を選出して、引き続き、警察・衛生・公衆衛生・風紀・建設・給食・防火・厚生・教育などの委員会や部会が作られそれぞれ委員長が選ばれた。さらにその秩序を維持するため自らの裁判所まで作り、さらに男女からなる陪審員が任命されたのである。裁判員制度はやがては陪審員制度につなげて、上記の米軍捕虜に見られるような自治の精神を日本国民にもしっかり持ってもらおうとするものと理解できる。ただし、最高裁をはじめとする判事サイドの反対も強く、陪審制でなく参審制と言って裁判官と裁判員がともに協議して判断する内容となったのが経緯のようである(第3章)。日本で、果たしてうまく機能するのか、判事による一方的な裁判教育になりはしないか、特定のプロ裁判員にふりまわされないか等、いろいろ懸念はされるが、この制度の実施まで注意深く見守りたいと思った。