足利事件、菅谷さんの怒り
当然だと思う。17年という年月は永遠に戻ってこない。40代、50代という人生において一番の時を獄で過ごしたのだから。だが、我々国民も怒らなければならない。それは、菅谷さんがえん罪だったということは、その間、真犯人は、この社会でぬくぬくと暮らしていたということになるからだ。やるべきこと、真犯人を放置したという、司法のおかした社会的罪に怒りを向けなければならないのではないか?裁判所、検察庁、そして警察が、仕事をしていなかったのだから。だから、市民目線の裁判員制度ということになるのかもしれないが、そこまでの役割が市民にになえるだろうか、という疑問は拭い得ない。警察は取り調べをすべて撮影してビデオを提出ではなく、ある意味で編集されたビデオでどこまで、公平な市民目線の判断ができるだろう。改革すべき司法は、裁判官、検察、警察の意識の改革。我々は、『菅谷さんかわいそう』ではなく『司法はなにをやってる』と怒りを感じるべきときじゃないか?