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カテゴリ:保護者問題(親問題)
実家に帰ると、「たまにはお墓参りぐらいしろ」と親におこられました。そういえば私は子供のころに何回か行きましたが、うちの息子は1回も行ったことがありません。私は幼稚園がカトリックだったし、近くに教会があったので少々礼拝の経験をしたことがあります。ところが、うちの息子の保育園は一応宗教法人が経営していたものの、宗教色が薄く、ほとんど宗教めいた物事にタッチをせずに生きてきたと思います。お葬式への参加も上の子0回、下の子1回です。近所でお葬式が行われることもありません。 都会で生活している人は、我が家と似たような家族が少なくないと思います。極端に宗教色のない生活は確実に広まっていると思います。 宗教を持たないことが悪いことだとは思いません。 宗教が原因になる戦争や、宗教に起因する不寛容には、うんざりしてしまう部分もあります。宗教が提供してくれる死生観に安易に同調し、宗教が提供してくれる体系に絶対帰依してしまう、あるいは一部を預けてしまう事には危険を感じてしまいます。 宗教をほったらかしていても大きな支障はないこの現代の日本社会に生まれてこられてよかったと思っています。 しかし、宗教や強烈なイデオロギーや専制君主の命令を回避して生きられるという自由を得た一方で、困った問題も起きているのでしょう。 自由を得た今の社会では、生とは何であり、死とは何であり、自己とは何で、他己とは何なのかという事を誰にも教えてもらえなくなってしまいました。そうすると、「べき論」が、語りにくくなってしまいます。 ご近所の人には挨拶をするべき・道にゴミをすてるべきではない・玄関の靴は揃えておくべき 崇拝する神や統治者がいれば、これらは神や統治者が「そうするべき」と言っているから、そうするべきだと考えれば(教えれば)よかったわけです。 ところが、こういった根源的な部分支柱を持たない人にとっては、このレベルの「べき論」でさえ通じなくなってしまいます。 人生は選択の連続によって成り立っているという見方ができます。レベルの低い「べき論」から高レベルな「べき論」までを持ち合わせて、それに自分を照らし合わせて判断し、選択しながら生きているのです。 ------------------------------- 宗教にもイデオロギーにも縛られないという事は、結局のところ自分で、「なぜ生きるのか」という問いに対する答えを用意しなくてはならないという事です。「なぜ生きるのか」から、「べき論」を導き出し、それを指針にして行動をしなければなりません。それが用意できない場合、少しずつ流されてしまいます。少しずつ流されていると、気がついた時には、とんでもない場所まで流されてしまっているという事態に陥ってしまう可能性もあります。 苅谷剛彦氏は「欲張りすぎるニッポンの教育」の中で、 「自己責任だぞ、というところにいつも帰着させてしまうと、厳しい社会ですよね。自分で選んだということを常に突きつけられるんだから。しかも自分でそれを探さなきゃいけないわけだから、君はこれをやりなさいとか、ダメだとか、そういうことをなるべく言わない社会を作ろうというわけだから・・・」 と、日本の教育の在り方についての危惧を述べています。これは教育全体の話の中で出てきた言葉で、価値観や宗教のことを話したわけではないのですが、実に当てはまっているように思います。 そもそも、多くの人が ◆一律の価値観に縛られない自由がある代わりに自分で価値観を探して打ち立てなければいけない ◆価値観を打ち立てることができず、人生を踏み誤るようなことがあれば自己責任である。 という現在の日本の「仕組み」にも気が付いていないような気がします。 どうする「べき」かは場当たり的に適当に考え、ぼーっと生きていて、なーんとなく上手くいかなくなって、ひどい結果になっても結局は自分の人生には自分で責任を持たなくてはならない。それは当り前と言われればそれまでですが、もしかしたら、弱い個人にとっては厳しい社会なのかもしれません。 これだけ情報が氾濫する中で、情報に流されずに生きていくための価値を打ち立てていくことができる強い個人がどれほどいるというのでしょうか。快楽の誘い、堕落の誘い、自己中心主義の誘い、弱肉強食の誘い・・・あらゆる情報に価値を揺さぶられる今日の社会の中で、自分を保つことは実に難しいと思います。 どの事件だったかは忘れてしまいましたが、少年が起こした殺害事件の裁判で、少年が 「もしも金八先生がいたらこんな事件は起こさなかった」 と供述したという報道がありました。実に身勝手な供述であるとともに、「仕組み」に気が付いていなかったという実に哀れな「無知」を表しているように思います。 現在の日本の「価値観形成の仕組み」がどうなっていて、それがどう社会に影響しているのか、その仕組みを修正することをマクロな視点で見ていく必要があると思います。 そういうところから考えていかないと、つながりを取り戻すのは難しいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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