赤胴鈴之助と清河八郎の共通点
赤胴鈴之助と清河八郎の共通点は?赤胴鈴之助は昭和の時代、漫画雑誌から始まりラジオや映画、アニメなどにもなった作品だ。原作は少年雑誌で1954年にまで遡るそうだ。(詳しくはこちら参照ください ➪ 二木紘三のうた物語) アニメは1972年の放送で、第1話だけだが現在You Tubeで見ることができた。懐かしいだけではなくこのような映像だったかと絵のすみずみが新鮮に映る。また、建物などの造りなど古い型式を残して今では忘れさられたものもあるように思う。江戸の建物や風習の記憶の残像が残る人たちが制作に携わっていたからなのだろう。そういう意味ではとても貴重な文化遺産かもしれない。【公式】赤胴鈴之助 第1話「夢は大きな少年剣士」”A LITTLE SAMURAI” EP01(1972) 秩父(現埼玉県)の山奥から江戸に出てきた赤胴鈴之助こと、金野鈴之助少年が剣の修行をしながら、悪の組織などとの闘いを通して成長していく様子を描く物語だ。鈴之助の天真爛漫な性格と剣修行に対するひたむきさが魅力の名作だ。 この鈴之助が江戸に来て入門するのが千葉周作の道場「玄武館」。アニメではわかりやすく道場の看板に「北辰一刀流 千葉道場」と書かれていた。「赤胴鈴之助」はあくまでもフィクションだが、゛赤胴鈴之助と清河八郎の共通点“、その答えは北辰一刀流(同門)ということになる。アニメの第1話で町人2人が「江戸で一番強い千葉周作先生の道場」と言う場面がある。江戸時代を代表する道場だったため、設定として取り入れられたのかもしれない。 北辰一刀流というと居合術や抜刀術のイメージが強い。赤胴鈴之助の必殺技が「真空斬り」や「十文字斬り」という素手の技で剣から少し離れた内容もあったのだろう、今まであまり八郎と関係があるとは思っていなかったが、アニメで千葉周作が出ていたことを思い出し話がつながった。 八郎の方が後輩となり、時代的には千葉周作の子で「千葉の小天狗」と名を馳せた栄次郎と同じ世代だ。江戸に地方から出てくるという設定など八郎と重ねて見れる場面もある。・北辰一刀流についてのブログ↓清河八郎と坂本龍馬のなぞ (坂本龍馬展2017/江戸東京博物館)清河八郎(斎藤正明)の全国での勉学、修行の軌跡(3)1851-1854 赤胴鈴之助のシールを家の中で見つけた。キャラメルについていたシールだったようだ。薪を割ろうとしている絵だが、薪を割る手の位置がとても危なっかしい。この当時(1972年頃?)はまだまだ、薪のお風呂などを使っていた家が少なからずあったのだと思う。最近では暖炉、ストーブ用として薪を使っている人が増え、憧れの薪でもある。