「賢治になりたかった少年」の背景
それはまだ僕が、モノ書きをはじめてまだ十年目くらいのころ、創作活動だと言っては日がな一日ぼんやりと過ごしてみたり、アルバイトに行ったり、母親の買い物に付き合ったりして、おりました。今でいうフリーターの元祖のようなもので、当時はそんな洒落たカタカナ表記ではなく「無職」と言われておりました。そんな中で、しかし当の当人は、創作活動に励んでいるという看板をぶら下げ、ご近所とも面会謝絶状態だったものですから、今思うと両親ともかなり肩身の狭い思いをされていたのではないかと推測されます。しかし、それでも「親の心子知らず」の言葉通り、のほほんとしていた訳です。しかしある時母親の買い物の運転手を務めた折、ふと彼女が中原中也の人生について語りだしました。彼の詩の内容はともかく、父の死・友人の裏切り・恋人との別離などさまざまな障害を経ても詩作活動を断念しなかったことについて「偉いわよねぇ」と何の気なしに感想を述べたのでした。え?偉い?なんで?当然のことじゃない?僕はすぐさま反論しました。好きなことをやっている人間が、その境遇云々に関わらず、それを捨てないでいることが、そんなに偉いことなのか?むしろ自分勝手ではないのか?それとも今の自分はえらいといわれる立場にあるのか?いやいやそんなことはない。僕は偉いと言われることをやっていない。ただ人間らしいことをやっているだけだ。じゃあ君たちは人間じゃあないのだな。そうだそうだきっとそうだ。なんてことが頭の中を過ぎりました。結局、どんな志を持っていても、周囲は、その結果でしか評価しません。そんなことは判っています。しかし、身内の中ですらそんな感じであるのなら、僕のシンパはいったいどこにいるのだろう。果たしてそんな思いが駆け巡りました。そしてそれは今でもあります。学生時代の友人と酒を酌み交わした時「君はいいよな、好き勝手やって生きていけて」とよく言われます。じゃあ君も今すぐ会社を辞めて自由に生きればいい、と反論すると「そんなことできる訳ないじゃん。社会は厳しいんだぜ?」たくさんの仲間に囲まれていても、孤独。賢治はそんな少年時代を過ごさせていただきます。かわいそう、賢治。僕の二の舞。