カネミ油症の裁判、どうして こんな和解案?!
こちら によりますと、カネミ油症賠償訴訟、患者側が和解案を拒否食品公害・カネミ油症を巡り、1989年の国への訴訟終結以降に認定を受けた患者ら55人が、カネミ倉庫などに、1人あたり1100万円の損害賠償を求めた訴訟の和解協議が21日、福岡地裁小倉支部で行われた。原告側は同支部が提示した和解案を拒否した。 協議は決裂し、3月21日に判決が言い渡されることになった。和解案は、カネミ倉庫が患者1人につき、〈1〉認定前10年分の治療費として30万円を支払う〈2〉解決金として500万円の支払い義務を負うが、請求できるのは 同社が破産や再生手続きを開始した場合などに限る―― という内容だった ‥ とのことです。500万円については、カネミ倉庫が 経営難に陥ったときなどに支払うとのことのようで、実際に倒産した場合には 払えないと思うのに、どうして、こういう和解案がでてくるのでしょうか?!原告全員が、「これまでにかかった医療費や苦しみにはとても足りない」 などとして、受け入れを拒否した‥ということですが、全く、そのとおりだと思います。和解案に対して、原告団がつぎの声明を出しています。和解案に対する原告団 声明2008年5月23日に提訴してから5年、当然の勝訴を信じてきた私たち 原告らにとって、最後の最後に、まさかこの様に情けない和解案を裁判所から突きつけられることになるとは、未だに 信じられない思いでいっぱいです。今回、裁判所から提示された和解案を目にした時、なぜ、これ程までに 被告であるカネミ倉庫側に片寄った内容の和解案であるのかと 納得がいきませんでした。新聞報道により、これまでの協議の中で、カネミ倉庫側からの和解案の提示額が10万円であったことを知った時、何と原告をバカにしているのかと思いましたが、今回の裁判所の和解案もそれと同じく、私たち原告をバカにしている、愚弄しているとしか 言いようがありません。裁判長は、私たちのこれまで味わってきた経済的、肉体的、精神的な痛み、苦しみ、悲しみに対する対価が30万円などという金額で済まされるものだと考えているのでしょうか。なぜ、旧原告らが受けることのできた最低限の補償を私たちには必要がないと考えたのでしょうか。裁判長は、真実、私たち 新認定患者は、旧認定患者と比べて症状の程度が軽いと思われているのでしょうか。2月19日に、五島の原告がなくなりました。彼で4人目です。 無念の思いを抱えて 亡くなっていった 仲間に、どの様にすればよいのか、情けなさでいっぱいです。私も含めて、命がけで これまで本訴訟をたたかってきた原告らが今、感じているのは、怒りと 絶望感と 情けなさです。弁護団の先生方からは、この和解案を受け入れなければ、私たちにとって 厳しい判決が予想されるであろうと聞いています。しかし、未だに未認定である私の子どもらを含め、何の補償も、救済も受けていない被害者らが多数、存在する現実を考えればこのまま私たちがこの様な貧弱な内容の和解案を受け入れることなど絶対に出来ません。私には、もう小倉まで行く健康な体はありません。私自身、いつまで生きられるのかも分かりません。そのため、本日は、この声名文を 原告団の先生方に預けました。 いつもご支援下さる皆様、報道関係の皆様、どうか、今後とも新認定訴訟原告らの実情を御理解のうえ、御支援を賜りますようお願い申し上げます。 以 上平成25年2月21日 原告団 団長 古木 武次 【 追 記 】 長崎新聞の こちら に古木さんのことが載っていました。カネミ油症新認定訴訟結審 「神様、味方するはず」 原告団長 古木さん 「救済法ができても不誠実で謝罪さえない。 許せない」。 30日午前、北九州市のカネミ倉庫本社前で決議文を同社に手渡した原告団長の古木武次さん(82)=五島市奈留町=は憤った。 同日午後、福岡地裁小倉支部で同社などを被告としたカネミ油症新認定訴訟は結審。 最終意見陳述に臨んだ古木さんは汚染食用油の摂取から44年、提訴から4年の歳月を振り返った。 1968年、38歳だった。奈留島で半農半漁、自給自足に近い生活。 「安くて良い油」という食用油が島に出回り、魚やイモの天ぷら、野菜いためが食卓に並んだ。 家族6人でよく食べた。疲れやすくなり、妻や息子に吹き出物が出始めたが、油のせいとは考えもつかず食べ続けた。 辺地で行政の情報もなかなか入らず、油症についてはっきり知ったのは13年後の81年ごろ。 知人の勧めで油症検診に足を運び、以来ほぼ毎年受診。 油症認定を求めたが、20年以上却下され続けた。 通院とはり治療で出費はかさみ生活苦に悩んだ。 2004年、診断基準改定でようやく認定された。 最初から油症被害者だったのに、カネミ倉庫は認定前の36年間の医療費を払おうとしない。 昨年から足の痛みがさらに強まり歩行さえ困難な状況だ。 最終意見陳述では、PCBを製造したカネカの責任を主張するカネミ倉庫に「責任逃ればかり。 (それなら)カネミがカネカを提訴すればいい」と怒気を込めた。 命懸けの裁判は和解か判決を待つだけとなった。 古木さんはこう力を込める。 「神様がいるのなら、必ず私たちに味方するはずだ」古木さんが住んでおられる 五島列島の奈留町から小倉まで どれ位かかるのかな~と思って、ヤフーの≪路線≫で検索してみました。 裁判所が10時からとして、小倉駅に、朝の9時に着くためには‥奈留港を前日の昼12時35に出発九州商船で長崎港に着くのが、16時 5分そこから10分余、歩いて 大波止 16時22分 発 長崎電気軌道で 長崎駅前に着き、長崎 発 16時53分JR特急かもめ36号で新鳥栖着 18時26分新鳥栖発 18時39分 JR新幹線つばめ358号で博多 着 18時52分 着JR新幹線のぞみ64号で博多 発 18時55分 で小倉 着 19時10分時間: 7時間29分(乗車5時間34分)運賃: 片道 9,270円(乗車券6,300円 特別料金2,970円) 裁判所に行くためには、1日かけて小倉に着きホテルに1泊しなければなりません。 その日もそのまま、帰宅するのは 難しいと思われます。乗りかえも多く、乗りかえ時間が 短いところも ありますので、もっと かかってしまいそうです。そういうことも考えると、長いこと苦しみ、認定されたあとも、また 5年もかかって‥今回の和解案では‥とても納得できません。3月21日には、被害を受けた方々の苦しみが、少しでも救われる判決がでるよう願っています。【カネミ油症のこと】 カネミ油症は終わっていない