いつかどこかで
自分が傷つくのを恐れて、大切なひとを傷つける。どうしてそんな過ちを繰り返すのだろう?・・・後悔と自己嫌悪・・・自分の心を覗いてみた。いったい何をそんなに恐れていたのだろう?何に脅えて、心にバリアを張っていたのだろう?分かるだろうか。自分を誤魔化していたから、臆病になっていたことを。気持ちを伝えるには、心のバリアを解かないといけないんだよ。自分に誠実になれるかな。素直に「ゴメンね」と言えるかな。誰もがそう言えるようになれば、もっと人は分かり合えるのでしょうね。聞きたくない言葉があった。何故かというと、誰よりも自分が自分に言っていたからだ。何万回も繰り返した。ダメな自分を叱りつけた、罵ってみた、鼓舞しようとした。そのうえまた、他人から言われるとイヤになった。だから、自分だけは言っちゃいけなかったんだ。自分をかばってあげなくちゃいけなかったんだ。自分に辛く当たることはカッコイイようにも思えるけど、行き場をなくした心は壊れてしまう。何も感じなくなってしまう。何も・・・現実感が無くなってゆく。落ち着かない心を何とかしようとして苦しくなってくる。夜、眠るのが不安なのでTVやビデオを見た。僕はロールプレイングゲームを何度も何度もクリアーし続けた。睡眠障害の次は、味覚障害が出た。一時期は本当に、砂を食べている感覚だった。食べ物の味が分からずに、食事そのものの意味さえ分からなくなった。味覚がおかしくなると節食障害へと進行するようだ。人間の三大欲望のうちふたつがこうしておかしくなった。当然、残りのものもおかしくなってくる。基本的な社会生活と言うものが出来なくなってくる。性欲を語る前に、女性のことを考える前に、人間に対する興味を失ってゆく。人間の営む社会生活を嫌ってゆく。そうして、引きこもるようになっていった。区切りをつけなければイケない。終わらなければ、はじまらない。捨てなければ、得ることはできない。もう好きなことしかやらないと覚悟を決めるのは大変なことだ。やらないという選択は捨てることである。自分に必要ないこと、嫌いなこと、苦手なことなど全部捨ててしまう。そうして好きなことだけに自分を絞り込んで行くのだ。このとき他人の声を聞いてはいけない。ただ自分の声だけを聞いて、自分を信じることだ。他人から好かれたい欲望とか、他人から嫌われることへの恐怖とかあるよね。そういうものをみんな捨ててしまわなくちゃいけない。未来を夢見ることが出来る人とは、嫌われることを甘んじて受け入れられる人なのだろう。僕は弱い人間だ。他人の言葉に惑わされてしまう。誰からも好かれたいとか嫌われたくないとか、そんなことを期待してしまう。でも、ひとりで歩いて行けるようになりたいんだ。世界でたった一人しかいない人間として、ひとりで起っていられるようになりたいんだ。そんな人間になりたいんだ。