カテゴリ:サンダー・シング
さて、ある金持ちの人がいたが、彼は〔つねに〕紫の衣や〔きめの細やかな〕亜 麻布を着て、日々贅沢三昧(ぜいたくざんまい)に耽(ふけ)っていた。 他方ラザロという名の、ある乞食は、できものだらけの姿でその金持ちの門前に寝そべっていて、 金持ちの食卓からこぼれ落ちるもので腹を満たしたいと願っていた。そればかりか、犬どもまでやって来ては、彼のできものを舐め上げた。 さて、その乞食は死んで、御使いたちによってアブラハムの懐に連れて行かれた
「悲しみと不幸は、われわれを神に近づけ、神への奉仕に向かわせる。人の不幸を天罰としか見ない者も多いが、苦しみと苦しみ方とは、神に仕える優れた方法、神を讃える効果的な方法である。 貧乏人ラザロの場合を考えてみよ。彼は全身腫物だらけだった。この腫物は、彼の罪の結果であるとはいえない。でなければ、アブラハムの胸に抱きしめられるという特権に与ることはなかっただろう。彼の腫物とそれへの耐え方は、人々への大きな教えとなった。このような彼の生き方によって、多くの人が神を讃えるようになったのだ。 だが、こういう人もいるだろう。「それにしても、神は自分が讃えられるために正直な人間を苦しめるものだろうか。」と。 この一時の苦しみの後で、彼がどんな報いを与えられたかを考えてみよ。 「私が十字架を負ったように、あなたも十字架を負った。今や、わたしは治めている。あなたも、わたしとともに治める。」と主はラザロに言われている。 サンダーシング ☆☆.。.:*・゚*:.。.☆☆.。.:*・゚*:.。.☆☆.。.:*・゚ ラザロと言う名前は エレアザルの短縮形で、「神は私の助けである」という意味をもっています。この名の通り彼は、神の助けを信頼していたのではないでしょうか。ラザロについて書かれてある記事はとても少ないのですが、この世的に不幸な身の上にもかかわらず、神を呪う言葉一つありません。彼自身が信仰を持って与えられた境遇を受け止め、最後まで耐え忍んで信仰の道を歩み通した・・と捉えることができるのではないでしょうか。 豊かないのちへと至る十字架は、むしろ人の目からは隠されており、十字架を負うものだけが知りうる喜びへと導いていく。人の思いを超えたところの祝福、霊によって知ることができる祝福だと思わされるのです。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[サンダー・シング] カテゴリの最新記事
|
|