「空気人形」観てきました。
カラッポの体に心を満たした人形と、心を見失った体を持て余す人間たち。心を持つってどうしてこんなに苦しいことなんだろう。心を持った人形…はとてもファンタジックな存在だけれど、それって結局“人間”のことだよね。「人形」が心を持つことはこんなに奇跡で刹那的なことに感じられるのに、「人間」となると何だかとても情けない存在に思えるのはどうしてだろう。誰かの代用品、身代わり。寂しいから求めてしまうんだろうけど、それってすごく残酷な求め方だと思う。卑怯だ。そんなことをするくらいなら、一人でじっと耐える方がましだと思える。自分の心でさえ重くて、重くて、持て余してしまうことがある。そんなときはとても他者の気持ちまで思いやれない。「面倒…」と思ってしまう。他の人にも自分と同じような心があるなんて想像出来なくなってしまう。心が目に見えるものだったら良かったのに、なんて思う。たとえば傷ついているとか、血が流れているとか、凍えているとか…。言葉なんてなくても、伝えられたら、わかってもらえたらいいのにな…。 *「空気人形」公式HPは→こちら人形が心を持つ。生まれたばかりの無垢な心で世界を体験する。そんな非現実的な設定をとてもリアルなものとして感じさせてくれたペ・ドゥナさんの演技が素晴らしかった。人形の目線で世界をとらえた映像も、淡く瑞々しくてとてもきれい。心を持つってどういうことなんだろうっていっぱい考えさせられました。生きていると楽しいことも、嬉しいことも、幸せだと感じることもいっぱいある。だけど、いっそ心なんてない方が良かったって思うほど辛いこともある。どうしてこんな風に苦しく感じるんだろう。どうしたら寂しいと感じる気持ちが和らぐんだろう…そんなことを考えました。