「69」が、どうした?
愛と死をみつめろ!シリーズ(4)また村上龍の原作で映画ができるそうだ。彼の原作映画は、どれもこれも眠くて、、、最近の「昭和歌謡大全集」も退屈で欠伸がでた。(クリックでジャンプします)ようするに彼の後輩とのあいだで出来ている実生活での私的交際で固めた内輪のりをそのままプロンプトしたような寓話を提供しただけで時代を描けたとか自讃しているらしい。「昭和歌謡大全集」の荒唐無稽さには小説家の奔放なイマジネーションとやらが感じられるというよりも、出版というメデアに根をおろしているという村上の現在が恥ずかしげもなく開陳されているという横着さ以上の意味をみいだせなかった。ヤットレとだけ言えば済むような内容だ。バカ話がしたければ、せいぜい身内だけでひそかにやらかして欲しいものだと思う。こんどの映画「69」も、「ああ、いつかやるだろうな」と思われたことを衒いもなく「あらあら、やっぱりやるつもりなんだ」という以外に特別な感慨が湧かない。詰まるところあの1969年に、長崎県で両親ともども教職員の共稼ぎ夫婦の間に生まれ、なに不自由なく育ったお坊ちゃんが楽しく青春していました、などと臆面もなく描いてくださる、村上龍の「回想的錯視劇」であるかのようだ。それは村上が、あの時代を描けばどうせあの時代を煽動的にたのしんだと平然と対談で述べる坂本龍一(52年生)みたいのやら、配役に顔を連ねる柴田恭平(52年生)みたいなのと底の抜けたバケツのような無造作な自我礼賛になるのは想像がつく。1月20日:東京大学、1969年度の入学試験中止を正式決定。 1月23日:京都大学生部の封鎖を大学当局と日共系学生が協力して実力解除。いわゆる「京大方式」。 2月18日:日大、機動隊を導入し全学の封鎖を解除。 3月12日:日大全学共闘会議議長の秋田明大が逮捕された。 5月23日:文部省、「大学の運営に関する臨時措置法案」をまとめる。全国大学30校以上が反対声明。 7月24日:東京教育大学の管理体制を強化する筑波移転を決定。(クリックでジャンプします)村上は、長崎県の名門進学校で学園封鎖をしでかし、あわや退学の憂き目かと思いきや、教職員のご両親に配慮した高校長のとりなしで皮一枚放校をまぬがれるというご大層でやんごとない御身上だ。あの時代の紛争校を多少は知っているが、大阪の府立高校で学園封鎖など実行すれば、私服警官に尾行はされるは連日教職員から恫喝されるはで、なかにはひたすら武装蜂起へ邁進してゆくしかスベがないという荒んだ追い詰められ方をした奴らも少なくなかったと思う。それがただ当時も「最新の流行」の意匠の取り入れに腐心しておりましたとでも誇示したがっているかのように描き方をして見せる。それが村上版「69」の正体だろう。そんな舞台としてしつらえた長崎などは自分からみればいわばキッチュな銭湯のペンキ絵富士。村上がいまやサブカルチャー世代との無原則な野合も辞さないという腑抜けた多数派工作屋になりはてたという完成図だろう。もともと、彼のその素性は70年代すでにあの瀬戸内寂聴にすら軽侮されていた。なにかといえば賞取りに文壇大御所への揉み手、擦り寄り。若い編集屋やメデア関係者を集めてはなにやら徒党を組むスタイル。近頃では芥川賞受賞作家らへの社会的関心が全般的に減退をさせられているが、彼はその走りという気がする。それがいまや瀬戸内寂聴の全集本の推薦人に連ねて寄稿するという。とにもかくにもめでたい年功序列社会であることよ。東大安田講堂占拠の学生排除 1月15日、東京・本郷の東大構内の安田講堂に全学共闘会議派学生が立てこもった。大学は実力排除を決め、18日に要請を受けた警視庁が機動隊を導入したが、学生は最後まで抵抗を続けた。このためヘリコプターを使っての催涙弾投下、放水など1日半にわたる猛攻の末、学生は排除された。この騒ぎで375人が逮捕された。 連続ピストル魔逮捕 4月7日、警視庁、連続ピストル射殺事件の容疑者永山則夫を逮捕。 荒れた国際反戦デー 10月21日、社共両党・総評など86万人が統一講堂、反共産党系学生のゲリラ活動で1,505人逮捕。 日本のGNPが西側諸国で第2位に。 永山則夫(49年生)のように貧困と辛酸をなめれば誰もが連続射殺魔になるとはけっして思わない。酷貧にあっても、けっして他人を攻撃したり殺害を実行する者ばかりではないと確信する。たとえば永山に対照するとすればソフトバンクの孫正義(57年生)が念頭に浮かぶ。孫は1957年8月11日、佐賀県で在日韓国人2世の安本三憲氏の次男として生まれる。父親の本姓は孫なのであるが、安本という日本姓を使っている。孫の父親の三憲氏はいまでこそ、パチンコ店、飲食店など幅広く事業を営んでいるのであるが、それは孫が中学生頃にやりだしたことであり、彼の少年時代は貧しかった。孫正義の父親は中学校を卒業すると、魚の行商から身を起こし、孫が幼少の頃は養豚と養鶏を営んでいたようである。(クリックでジャンプします)永山の卑劣な殺人行為は、けっして賞賛されることはない。永山の体験した貧困と、孫の通過したそれを比較する事に意味はない。(少なくとも銃でその遺恨を果たすというような選択を孫が行なったとはさすがに思えない。)とはいえ、あの時代を通過していて永山にしろ孫にしろ腹の底ではさすがに村上龍の今般作品のような絵にかいたような「予定調和」な69年を映画作品にされては堪らないという精神。それは、多数派にかき消されてたまるものかという思いはそこここにあるだろう。3月2日:【中ソ国境紛争】 中国とソビエトの国境を流れるウスリー江に浮かぶ島で両国の国境守備隊による小競り合いが発生した。戦闘はエスカレートし、本格的な武力衝突に発展した。 3月8日:【エトナ山大噴火】 [伊]シチリア島のエトナ山が噴火し、主に溶岩流により約1万人の死者を出した。 3月30日:[仏]ベトナム戦争やビアフラの飢餓状態に抗議してパリの女学生フランシーヌ・ルコントが焼身自殺。 フランシーヌの場合 3月16日:【ベネズエラ機墜落事故】 [ベネズエラ]ベネズエラ航空機DC-9がマラカイボ郊外の人口密集地に墜落炎上して、155人の死者を出した。飛行機事故としては、これまでの最悪記録となった。 6月6日:南ベトナム臨時革命政府樹立。 7月1日:[英]チャールズ王子が立太子式。 8月9日:【シャロン・テート惨殺】 [米]女優シャロン・テートら5人が惨殺される。 10月15日:全米でベトナム反戦デモ。 自分は、フランシーヌ・ルコントという女学生が「青春とはハッタリだ」(村上龍)などという理由で焼身自殺をしたなどと69年時点でけっして思わなかったと言明する。村上龍は、瀬戸内寂聴を評して「瀬戸内寂聴のヒロインたちは自己資源を愛のために浪費する。そして地獄巡りの果てに勇気と癒しと自立を得るのである」などと対象化して言及する。しかし、瀬戸内自身はまさしく「愛のために浪費する」という人生スタイルのもたらす自身の緊張感ゆえにその対極にあるとおぼしき村上龍をつねづね嫌っていたのではないか。鳴海清(52年生)や、永野一夫(52年生)たちも長崎の教職員夫婦のあいだに産まれて育つという教養小説みたいな青春を味わっていたら「69」ような映画をつくらせたのだろうか。鳴海清・・・昭和53年7月。京都のクラブ「ベラミ」で、山口組3代目組長・田岡一雄を銃撃した犯人。この事件は昭和50年から3年に渡る、山口組と松田組の抗争事件「第1次大阪戦争」のクライマックス。鳴海清は、凄惨なリンチを受けたことが伺える他殺体で発見される。この事件は後に「ドンを撃った男」として映画化。(クリックでジャンプします)【警告】永野一男死傷現場の戦慄画像(クリックでジャンプします)