虚しさを異化せよ!
映画を見て、戦争や殺人や愛を体験することはできない。それは、別の次元の体験だ。だから、当人にとっては悲惨以外のなにものでもない悲劇を映画で見て、「感動」することができる。その悲劇事態は、「感動」とはほど遠いものであるとしても。むろん、だから、戦争も「エンターテインメント」になりえる。そんなことにいきどおってもしかたがない。しかし、戦争や非道な事件に対していささかでも抵抗や批判の意志を表明しようとすれば、その作品をみなぎる情感は、日常生活では体験できない度合いの虚しさや悲しさだろう。いや、悲しさは、ブレヒトが言ったようにカタルシスの道具になりえるから、より重要なのは虚しさを「異化」(ブレヒト)することだろう。つまり、日常感じる「虚しさ」とは一味違い、深くこたえる虚しさを表現すること。 粉川哲夫 「戦場のピアニスト」自分が、WEB世界でもっとも敬意を抱き、つねにその発言に注目しているひとり。粉川哲夫がいる。氏の、映画「戦場のピアニスト」についての発言は、つくづく得心がゆく。あの佳作「ジャーヘッド」をみても、粉川氏の述べる戦争も「エンターテインメント」になりえるという喝破が透徹していることが実感できるではないか。サムメンデス監督は、この呼吸を知り抜いている。再び、フォン トーリア監督にこだわっていえばより重要なのは虚しさを「異化」(ブレヒト)することだろうという、粉川氏の指摘が、どこまで徹底されているのかという興味である。異化出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』移動: ナビゲーション, 検索異化(いか)とは、日常とは異なる表現を与え、非日常に一旦意識を落とし込むことによって、却って日常のリアリティを生々しく喚起させることを目的とした行為、作用。芸術や文学、哲学や心理学などで使われ、一定の効果が認められるが、多用すると今度は非日常が日常となってしまうために、効果がなくなる。スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp