【キリグア物語より】日大駿河台病院への質問書
https://t.co/hSwVY7SL98— キリグア (@quiri_gua) 2018年2月15日転載:日大駿河台病院への質問書February 03 [Sat], 2018, 0:272017年8月31日に貴大学病院にて亡くなった桑田木綿子の治療、終末期の医師、看護師の態度について納得のいかない点があります。2010年に社会的責任に関する国際規格であるISO26000が発行されました。この規格は持続可能な社会の構築や発展のために、組織が果たすべき社会的責任の必要性の手引書で世界標準になっています。組織が果たすべき社会的責任の中に、説明責任、倫理的な行動、人権の尊重などが挙げられています。患者及び患者の家族に対する説明責任は果たされていたのか、木綿子の最後の処置が果たして倫理的で人権が尊重されたものだったのか、誠意のある説明をお願いしたい所存です。私は故桑田木綿子の姉で中米のグアテマラという国に住んでおります。初めて木綿子から癌のことを知らされたのは2016年1月で、「早期発見なので大丈夫」と聞かされました。前医からトリプルネガティブ(ER-, PgR-, HER2 1+, Ki67不明)とのことで日大駿河台病院を紹介され、術前化学療法を開始(2016年1月)。その際に、谷眞弓医師は木綿子にどの程度のインフォームドコンセントを行ったのでしょうか?いくら早期でもトリネガなら今後の治療のためにも家族にインフォームドコンセントをするべきだったのではないでしょうか?また、前医からのデータで、Ki67が不明。不明のまま化学療法を施行し2016年8月の摘出手術後の病理診断で初めてKi67が90という高値とわかったのでしょうか?谷眞弓医師は「ご本人とご家族には悪性度の高い癌であること伝えてあります。お姉様が他国に在住しており、一度ICしたのですが、後からいろいろ調べられ心配されているようです。」と診療情報提供書に書いていますが、谷医師の言うインフォームドコンセントは2017年の5月になってからで、「トリプルネガティブって知ってます?手術の後、順調だったんだけど、抗がん剤をやめたら転移しちゃったんですよね。悪性度の高い癌だけれど、アメリカに検体を送る方法もある、40万円。癌だからって何をしちゃいけないってことはなく、グアテマラに行ってもいい。お母さんより娘が先に逝くのはつらいわね」と、ほんの20分もかからなかったと思います。その時に2016年8月の摘出手術後の病理検査のデータを見せられましたが、8月の時点でなぜ家族にICをしなかったのでしょうか?なぜ悪性度が高いのに抗がん剤をやめたのでしょうか。私に対するICがこの程度なので木綿子にどの程度説明がされていたのか非常に疑問が残ります。2017年5月に谷医師からICを受けた後、私はグアテマラに戻り、谷医師に他の医者のセカンドオピニオンが欲しいと何度もメールで頼みました。すると、谷医師は「お姉さんからセカンドオピニオンやりたいってメールが来てるけどどーする?」と木綿子に相談したそうです。木綿子は私に「谷先生からどうするか聞かれたけどどうする?」と聞いてきました。谷眞弓医師にはご自分の判断はないのでしょうか?セカンドオピニオンは患者にとっても主治医にとっても今後の治療を考える上で非常に重要です。木綿子が知らされた(インフォームされた)情報は正確な病気の情報ではなく、姉からメールがあったということだけです。その情報でセカンドオピニオンをするかどうか決めろと。このようなことが貴院では日常的に起こっているのでしょうか?また、これは谷眞弓医師を紹介した馬橋摩利さんの証言にもありますが、木綿子が谷眞弓医師に「姉が失礼なことを言って申し訳ありません」と謝っていたということです。私は木綿子に心配をさせないよう、言葉の一つ一つに細心の注意を払っており、谷医師の態度についても全く話していませんでした。考えられることは私が谷医師にメールで質問をするたびに谷医師は木綿子にお姉さんから失礼なメールが来た、と言っていたのではないでしょうか?2016年8月に部分摘出手術。術後に初めてKi67が高値であることを認める。TS-1服用、2016年12月に中止。Ki67がこれほど高いのにも関わらず抗がん剤を中止した理由を教えてください。また、2017年1月初めにひどい咳が数日続きましたが、血液検査はしたのでしょうか?3月になって初めてCTで肺転移、肝転移を認めていますが、いろいろな要素を相互に確認しながら判断するため腫瘍マーカーだけで断言できなくても、取るのが常識と聞きました。その後、木綿子が字を書くことが困難になり、そこで初めて脳MRIを行い5月に脳転移を認めています。すべて後手後手の処理なのですが、悪性度の高い癌ならもう少し真面目に検査、治療をされていてもよかったのではないでしょうか?5月12日にガンマナイフ施行、7月の脳MRIで多発転移が認められ貴院にて全脳照射のため7月24日から8月5日まで入院。全脳照射施行中は抗がん剤治療ができないと聞きましたが、他の転移を考えると抗がん剤治療をやめて全脳照射をするより抗がん剤を続けるべきだったのではないでしょうか?木綿子には全脳照射の前にセカンドオピニオンを取ってから決めるように谷医師に相談するように言いましたが、谷医師はセカンドオピニオンは全脳照射が終わってからゆっくり考えようと言ったそうです。悪性度が高く進行も速いのにゆっくり考えるとはどういうことでしょうか?7月24日から8月5日までの入院中は血液検査はされていたのでしょうか?7月25日の時点でLDHが9347、肝機能は下がり続けていたと思うのですが、肝機能改善のための点滴などはなされていたのでしょうか?8月5日に退院していますが、全ての検査をした上で退院させたのでしょうか?退院後8月8日に受診し、LDHが17998、8月10日の受診でLDHが19153、即日入院となりました。8月10日に谷眞弓医師からメールで、肝機能が落ちている、今晩にも吐血し意識を失うかもしれない、あと、1ヵ月くらい、とのメールをいただきました。谷医師は数値にかなり動揺してメールを出したようで、ご自分の名前を「谷」と書くところを「他人」と変換し送信しています。自分の名前の変換ミスは一般の人間でも考えられません。医師としての適性が疑われます。その後に、木綿子と母、親戚に余命宣告をしていますが、その状態で冷静で的確な告知ができたとは考えられません。最後の入院は個室ですが、無料だったとのことです。谷医師は木綿子に「もう終末で看取りになるから、家族が寝泊まりできるように個室にする、でもタダだから」と言ったそうです。こういうことを言う必要があるのでしょうか?確かに終末期の患者は医師や看護師の目が届きやすいように個室にするという話も聞きました。治療、看護の上で必要だからということだそうです。後述しますが、木綿子の最後はモニターがけたたましく鳴っても医師どころか看護師も来ませんでした。また、余命宣告の時に、谷医師は木綿子に自宅療養にするかどうか尋ね、木綿子は自宅でもし吐血した場合はどうするのかと谷医師に聞いたそうです。谷医師は自分がすぐに駆け付けると言ったそうですが、自宅どころか病院にいたのに医師も看護師も来ませんでした。私は8月14日に帰国し翌日15日に病院に行きましたが、木綿子は元気そうで食べたいものは食べ、一人でシャワーも浴びていました。その日の午後、木綿子の病室に看護師が車椅子を押して入ってきて、谷医師が話があるので来てくれとのことでした。谷医師本人が今日か明日にも吐血して意識を失うと言っている病人を車椅子を使って呼び出すとはどういうことなのでしょうか?話があるのなら病室に谷医師が来ればいいのではないでしょうか?そしてこれ以上何を木綿子に告知するつもりだったのでしょうか?確かにデータは最悪でも木綿子は頑張って退院するつもりでいました。谷眞弓チームは多分、それが気に入らなかったのでしょう。絶対に治らない、1か月以内に死ぬ、それを覚悟させたかったのだと思いますが、もしも最後ならできるだけ絶望的な気分にさせたくない、痛みもやわらげて、穏やかな気持ちでいさせたい、そう思うのが家族であり、緩和ケアーだと思います。私は、車椅子を押して入ってきた看護師に「谷医師の話は私一人で聞くから」と言って、看護師を急いで病室から追い出し、指定された部屋に行きました。そこには谷医師と看護師が座っていて、X線写真がありました。私が木綿子にはもうこれ以上厳しい話はしないでくれと言うと、谷医師はあからさまに不機嫌そうな顔をしました。その席で私はまず、木綿子が7月に入院した時、緩和の看護師が、ホスピスを考えておくように、隣のベッドの末期の患者と全く同じセリフを子供に話しかけるような口調で木綿子に話したことに本人は自分はそんなに悪くなっていないのに(そう思っていた)非常にショックを受けた、緩和の対応は無神経ではないかと質問しました。谷眞弓医師は「(緩和担当者は)そういうことを言ったかもしれないし、言わなかったかもしれない。要は受け取る側の気持ちの問題だ」と言いました。これはパワーハラスメントにおける加害者側の常套句ではないでしょうか?しかも、緩和担当が言った言葉に傷ついたのなら、いくらマニュアル通りであったとしても、考え直す余地はないでしょうか?貴院ではマニュアル通りであるなら患者が傷つくことは問題ないのでしょうか?例えば、80を過ぎた母にも木綿子の余命は1ヵ月と告知したそうですが、木綿子はそれを大変不服に感じていました。もし母がショックでどうにかなってしまった場合でも、ショックを受けるか受けないかは本人の問題というのでしょうか?しかも、母はショックは受けましたが内容は全く理解していませんでした。早口で何を言っているのかわからなかったと話していましたから。それがインフォームドコンセントでしょうか?谷医師はインフォームしたつもりだったのでしょうが、患者や患者の家族はインフォームされた状態になっていなかった。谷医師のICはいつもこういうものだったのではないでしょうか?最初に本人から癌を知らされたのは2016年1月でその時、木綿子は「早期だから大丈夫」と言っていたので…と私が言うと、谷医師は言葉を遮るように「とんでもない!早期なんかじゃないですよ!」と威圧的な態度で私に言ったので、後に続く言葉もありませんでした。突然の死を宣告され動揺している家族に配慮はないのでしょうか。また、患者やその家族の話を傾聴するという姿勢は谷医師にはないのでしょうか?そして、2016年1月の時点で早期でなかったのならなぜ家族に知らせてくれなかったのでしょうか。木綿子へはどういう告知をしたのか教えてください。私は谷眞弓医師の扱ったトリプルネガティブ患者にはどういう治療がなされたのか、余命はどのくらいだったのかを知りたかったので、トリプルネガティブ患者をどのくらい扱ってきてのか聞くと、「失礼でしょう!その質問は失礼ですよ!何件も扱ってきてますよ!」と恫喝され、私は何も聞くことはできませんでした。患者の家族の質問に対してこのように感情的な態度でしか対応できない医者に冷静な判断、治療ができるのでしょうか?その後、谷医師に廊下ですれ違った時に、木綿子は丸山ワクチンを望んでいたのでそのことを伝えると、「え?あんなものやりたいの?(笑)昔はやってたかもしれないけど、今時あんなのやってる人いるの?」という返事をいただきましたが、丸山ワクチンがどういうものにせよ、このような態度はどうなのでしょうか?そして、肝機能が下がっているとのことだったので、肝臓の手術などできないものかと素人の質問をいたしました。すると、「え?(笑) どこを?まあ、肝臓の手術なら〇〇病院、350万円」との返事でした。必ず金額がとっさに出てくるのです。最後の看取りの個室はタダと木綿子に言ったのも頷けます。私はもう、谷眞弓医師と話はできないと思い、あえて彼女の不在の時に他の医師に面接をお願いしました。指定された部屋には小関淳医師が座っていて、開口一番、「窓口は一つにしてもらいたいんですよねー」と言われました。谷眞弓医師は1週間のうち、何日ほど、駿河台病院にいらっしゃるのでしょうか?主治医が不在の場合は他の医者が患者及び患者の家族の対応に当たるのがチーム医療ではないのでしょうか?他の医者の意見を聞くことは重要だと思いますが。私はとても嫌な気持ちになりましたが、「本人はまだ治るつもりで頑張っている、これ以上残酷な告知はしないでもらいたい」と言うと、「本人は治るつもりって言ったって、この写真見てくださいよ。」との返事。私は、治らないのはわかっているが、これ以上、残酷な告知をしないでもらいたいとだけ言いました。8月17日、ポート埋め込みの手術後から一気に容態が悪化しました。ひどい吐き気と目まい、たぶん、麻酔薬が合っていなかったのだと思います。ある朝8時過ぎに私が病室に行くと、とても苦しそうな顔をして私に痛い、と訴えました。医者には言ったのか聞くと早朝に来た看護師に言ったがまだ薬をもって来ないとのこと。私はナースステーションに行き、とても痛がってる、腹水がたまって苦しいんだと思うので薬を処方してくれるように言うと、「パジャマの紐がきつくて苦しいんだと思いますが、先生に聞いてみます」との回答で、薬が処方されたのが昼過ぎでした。また、全脳照射の時にどこかの神経をやられたらしく、ひどいドライマウスになってしまったため、水分の多いものしか食べられず、病院食で出てくる魚のフライや酢豚、揚げ物のような健康食はほとんど食べませんでした。それでも汁物や果物はなんとか頑張って食べようとしていましたが、私がスープ類を作って持って行っていました。谷医師は「まだ病院食続ける?もうやめてもいいかな?」と木綿子に聞いてきたので私は慌てて「食べられるものもあるし生活のメリハリにもなるから出してください」と言いましたが、無神経にもほどがあるのではないでしょうか?木綿子は一生懸命、生きる努力をしているのに、全く患者の気持ちを考慮しない、これも受け取る側の問題と言うのでしょうか?もう助からないのならもう少し緩和をしっかりやってくれる病院に転院させたく、某病院への転院を谷眞弓医師にお願いすると、あの病院は汚い、木綿子さんはこの病院が綺麗だから気に入っている、とのことでしたが、汚いとかきれいの問題なのでしょうか?そして、某病院の個室はいくらいくら、この病院はタダ、と言われました。それでも何とか転院の手続きに移り、谷医師が福祉担当の方を呼んで事務手続きに入りました。その席で、谷医師は福祉担当の人に「忙しかったでしょ?悪かったね、ごめんね、大丈夫?」ととても気を使われていましたが、谷医師が丁寧にアテンドすべきはクライアントである患者、患者の家族ではないでしょうか?患者のために忙しい時間をとらせて申し訳ないと患者の家族の前で言うのは失礼ではないでしょうか?患者の家族には恫喝し威圧的に出る、仲間意識だけは異常に強い、それが貴院のチーム医療なのでしょうか?高熱が出たため、看護師が点滴に解熱剤を加えたのですが、見ていても一向に減らないので、看護師を呼ぼうかどうか迷いながらもあまり頻繁に呼び出すのも悪いと思い(谷医師の前述のような態度がそうさせたとも言えます)しばらく待っていましたが、看護師が血圧を測りに来た時に解熱剤がきちんと入っているかどうか尋ねると、「あ、入っていませんでした」との答えでしたので、その後は私が転院の手続き等で外出する時も必ず友人に付き添いを頼みました。貴院ではこのようなことが普通にあるのでしょうか?もう終末期の患者で死ぬのを待つだけなので、看護も疎かになっていたのでしょうか?それが貴院の終末期の患者に対する緩和ケアーなのでしょうか?谷医師と最後に話した時、容態はどんどん悪化している、今週が山だと思う、自分は当直ではないがチーム医療だからね、と言われました。31日の午前1時頃、看護師の回診があり血圧を測ると、急激に下がっている、先生に聞いてみると言って出て行きました。そして血圧を上げる薬が点滴に加えられましたが、30分経過しても上がらず家族を呼ぶように言われました。家族が来て少しすると血圧が上がり、看護師はモニターを取り付け容態が落ち着いたと言って病室を出ていき、家族だけになりました。看護師も医者もいない、何の説明もなかったので私たちは容態が落ち着いたのだろうと思い、高齢の母もいるのでとりあえず帰宅させました。家族が帰った後、私は木綿子の枕元で仮眠をとっていると、モニターがけたたましく鳴りグリーンのライトが点滅し、木綿子の顔は口が縦に一文字になり目は上を向いて恐怖映画のような恐ろしい形相でした。私は病室を飛び出してナースステーションに走りましたが看護師は誰もいなかったので、大声で叫びました。やっと病室に来た看護師は木綿子の形相を見て、慌てて血圧を測りましたが、右腕では測れず左腕で測ったりかなり慌てている様子でしたが、このような時にまず血圧を測るのでしょうか?モニターは何のために取り付けられていたのでしょうか?私は木綿子が呼吸ができていないのだと思い無我夢中で人口呼吸をしました。もちろんやり方など知りませんが。それを見た看護師も慌てて、痰を取りますと言って、枕元に歯磨き用に取り付けてあった吸引器を鼻の穴に入れてすぐに抜きました。呼吸ができず恐ろしい形相になっている患者に対し、まず血圧を測り、歯磨き用の吸引器を鼻に差し込むのは適切な処置なのでしょうか?木綿子の頭がぐったりとなりました。しばらくして谷眞弓医師が病室に入ってきて、看護師が何か言おうとすると止めて時計を見て6時15分です、と言いました。谷眞弓医師は最後に話したときに、(木綿子の)最後はどうするか、家族が来るまで持たせるかと聞いてきました。人工呼吸器をつけると外せなくなる、殺人罪になるから。酸素マスクをつけておくか?そうすると顔がむくんでしまうが、などと言われました。とりあえず、家族が来るまでなんとか息を繋いで置いてくれるようにいいましたが、結局、血圧が急激に下がった時から、息を引き取るまで6時間近くあったのですが、どの医者も現れなかったので、何のために聞かれたのかわかりません。貴院には当直の医者はいないのでしょうか?あるいは、もう死ぬ患者なので駆け付ける必要もなかったということでしょうか?木綿子は最後にどのくらいの苦しみを味わって死んでいったのでしょうか?貴院では終末期の患者がこのような死に方をするのは日常的なことなのでしょうか?最終的に遺体を運び出す時、葬儀業者から先生が最後のご挨拶をしたいと言うので待ってくれと言われ、20分近く待たされた挙句、挨拶に来たのは谷眞弓主治医ではなくて、「窓口は一つにしてもらいたいんですよねー」と面倒くさそうに言った小関医師でした。私が実際に貴院で2週間、木綿子に付き添っていただけでこれだけ異常な状況を目にしているので、木綿子が治療を受けていた1年半、何もなかった、まともな治療、説明がなされていたとはとても思えません。また、谷真弓医師はいつも髪の毛が不衛生にぼさぼさで、素足にサンダル履き、グリーンのペディキュアで患者の前に現れていました。他の看護師さんは髪をまとめてきちんとした格好でしたが、貴院では女医がこのような出で立ちで患者や患者の家族に接することが許されるのでしょうか?1.2016年1月の段階で「早期なんかじゃないですよ!」と言われるほどの病状なら、なぜ、今後の治療のために家族にインフォームドコンセントがされなかったのでしょうか?2.2017年5月にトリプルネガティブ、悪性である、母親より娘が先に逝くのはつらいわよね、という非常に簡単な報告を受けました。(谷医師はこれをインフォームドコンセントと言っていますが)その時に、アメリカに検体を送って調べる方法もあると言われましたが、なぜ、それを2016年1月に実行しなかったのでしょうか?その時点で谷眞弓医師はその方法を知らなかったのでしょうか?3.2017年8月の面談で、谷医師は私の質問に対し、「その質問は失礼でしょう!」と恫喝し、私の質問に答えませんでしたが、実際、谷医師はトリプルネガティブの患者を何件扱っていたのでしょうか?4.今後の治療の段階で必要なインフォームドコンセントは行わず、余命1ヵ月、今日か明日にも吐血して意識を失うとう終末の段階で、家族がこれ以上の告知はやめてくれと懇願するにもかかわらず、執拗なまでに患者に死の宣告をしようとした理由はなんだったのでしょうか?5.病院でモニターが付いていたにも関わらず、アラームが鳴っても誰も駆け付けて来なかったのはなぜなのでしょうか?あるいはこのようなことは日常的なのことなのでしょうか?当直の医者はいないのでしょうか?6.貴病院では医師が素足にサンダル履き、グリーンのペディキュアで患者や患者の家族に接することが許されるのでしょうか?最後にもう一度、組織の社会的責任に関する国際規格であるISO26000で、組織が果たすべき社会責任の中に、説明責任、倫理的な行動、ステークホルダーの利害の尊重、人権の尊重が挙げられています。貴院の乳腺内分泌科のサイトには「1人1人により自然で幸福な人生を送っていただくために」とあり、患者第一、人権尊重の理念を謳い、CSRあるいはSRの部門は設置していなくても社会的責任をある程度は意識しているように思われます。そうであるならば、命の扱い方の問題を患者相談窓口で聞いてくれなどという態度は改め、上記の6点に関してだけでも社会的責任に関する国際規格に則り誠実な説明をお願いいたします。【乞う御照覧】いま現に医療の現場にある脅威 ⇒【キルグア物語より】日大駿河台病院への質問書 | 新発想ビジネスヒントフォーラムWEB2.0 - 楽天ブログ https://t.co/CSVXVMbBwg— サイダーラジオは今日も言いたい放題 (@applecider52) 2018年5月10日正規、標準治療の医者は自由診療のカルト医療を叩きまくるけど、なんでわざわざ患者は高額の自由診療に走るのか。標準治療の医者があまりにもお粗末で悪徳で怠慢だからですよ。標準治療を隠れ蓑にやりたい放題の日大病院谷眞弓を徹底的に糾弾します。— キリグア (@quiri_gua) 2018年5月10日https://plaza.rakuten.co.jp/hint2003/diary/201805120000/日大病院乳腺外科医、小関淳のブログ「オシャレとハワイ、時々仕事」 え?仕事は時々?この医者は私が話をしたいというと「窓口は一つにしてもらいたいんですよねー」と面倒くさそうに言ってきた。オシャレとハワイに忙しかったんですね。https://t.co/P2aKaJkcCM— キリグア (@quiri_gua) 2018年5月12日