「パルモア病院日記」 中平邦彦
人の誕生は激烈な危機の瞬間である。成人では耐えられない酸素欠之、低血糖を乗り越えて新生児は生れる。乳児死亡の大部分は出産時に発生し、身体障害のほとんどが、胎内と出産時前後,いわゆる周産期に起きる。だが、産科と小児科の谷間で,新生児医療は軽視されてきた。わが国初の周産期病院を設立し,もの言わぬ小さな命に半生を捧げた医師三宅廉の、30年にわたる活動を描く感動作。 <感想> ★★★☆☆2005年(平成17年)我が国の周産期(妊娠満22週から出生後満7日未満)死亡率は出生1000あたりで3.3です。 まだ周産期という言葉さえない1950年(昭和25年)当時のデータを見ると周産期死亡率は約50です。 つまり妊娠、出産の過程で子供の20人に一人は亡くなってしまうということです。 さらに無事に生まれてきたとしても当時の乳児死亡率は1,000人当たり76.7人。 終戦直後の食糧難も影響していると思われますが、それを当たり前と捉えている風潮や、産科と小児科を分離している医療制度の不備がその原因と考え、産婦人科と小児科をあわせた周産期医療に取り組んだのが本書で語られる医師の三宅廉です。 長い間見捨てられてきた未熟児や出産時のアクシデントで障害を背負ってしまう子供を救いたいという一念で大学教授の職を辞し、1951年(昭和26年)神戸に小さな診療所を作ります。 数々の苦難が待ち受けていますが、赤ちゃんを救いたいという情熱のみでそれを乗り越えて突き進む三宅の姿は感動的です。 ただ、これはあくまで描き方の問題ですが、三宅の情熱の根源にもっと光を当てるべきだったのではないかと思います。 残念ながら読み物としてはちょっと平板すぎるような気がしました。 現在のパルモア病院現代の周産期医療の実態や問題をお知りになりたい方には『ブラックジャックによろしく』ベビーER編(第3巻・4巻)がオススメです。