些細な失敗で自分を呪ってしまう残念さについて
私は我が家のテレビ・録画係りです。大晦日にラー(21歳・息子)が大好きなダウンタウンの「ガキの使い・・・」を一応HDDに録画していたのですが、ラーが途中で仕事から帰って来て見ていたし、「ガキ使」について何も言わなかったのでもう消しても良いのかなと思っていました。5日に東京に出掛けるに当たってHDDの容量が不安になり、あれこれ消した中に「ガキ使」があったのでした。東京から帰って来て一息着いた7日にラーから「『ガキ使』見たいんだけど」と言われて愕然としました。私「え?あの後何も言わないから もう見ないんだと思って消しちゃったよ」ラ「だって俺ずっと仕事で 見る暇無かったっしょー」私「え、でも見るも見ないも何にも言わないし」ラ「俺が『ガキ使』好きなの知ってるっしょー」私「知ってるけど、途中から見てたし」ラ「全部見たいだろう」私「言ってくれないと解らないし」ラ「消す時、聞かなかったー」私「・・・・・・・・・」ラーにしては珍しく食い下がり、余程見たかったようで思えば予約の分量は大した容量が必要だった訳ではなく出かける前の気が急いた状況でなければ消してはいなかったのでした。その後、私はまたしても無意識のうちに自分を責めて自己嫌悪に陥り自分を許せなくなり嫌悪感や不快感に陥りました。胸がムカムカして頭の中が失敗に対する不快感で充満して行くのが解りました。悪感情でみるみるうちに私の体も心も満たされて行くのが解りました。これは客観的に見てバランスの欠いた感情状態です。だから私は息子を呼んで「『あなたを許す』と言ってくれない?」と頼んでみました。すでにテレビ番組の事なんか忘れていた息子は変な顔をしながらも「お母さんを許します」と言ってちょっと笑いながら二階に戻って行きました。許すと言われたら幾らか気が楽になると思ったのに気が楽になりませんでした。しばらく考えてこれは自分で自分を許していないのだから自分が自分を許さない限り進みようが無いんだと思いました。それで声に出して言ってみました。「私は私を許す」「私は私を許す」大きい声で何度も言いました。「私は私を許す!!」「私は私を許す!!!」でも気が楽にはなりませんでした。きっと同じ悩みを持っている人以外の人にとってはテレビ番組ごときで何故そこまで深刻になるんだろうか?と失笑気味に思われるでしょう。ですが、自己肯定の出来ない人間はこんな些細な事ですら立ち上がるまでに全力を使うほどの多大な影響を受けて心と体に痛手をこうむるのです。全く残念な事ですが、私は日々こんな些細な事で身動き出来なくなります。本当に残念です。これはこう。あれはあれ。それはそれ。と、分類してすっきり出来たら良いのですがそれが出来ないんです。色々考えて、少しず~~つ前進しているつもりでもこんな事でさえ数時間のたうち、苦しむ事になるのです。自分を肯定出来たら良いのになぁ。自分を許せたら良いのになぁ。とガッカリした1月7日の出来事でした。いつか柔軟な人になりたいです。や、いつか柔軟な人になって楽しい人生を過ごすんだ=====!!!