15日の「わかばの会」の感想
●15日の第五回「わかばの会」の感想●わかばの会は宮城県の教育事務所主催でカウンセリンセラーのI先生が主導で不登校児の親が話をしたり、I先生の講和を聞いたりする会です。今回は特にとても充実していました。沢山の人が参加して活発に話し合いが行われて素晴らしい集まりでした。親が話す事でI先生が刺激されてその人やそういった人が抱える問題を分析して行き問題を整理整頓して行く・・・。あれこそディスカッションでした。グルグル廻るのではなく、前に向って進んで行く。少しずつ少しずつ這い進んで行く。あんまり素晴らしかったので、次の日の名取でのわかばの会も出席したかったのですが体力が持たずに出掛けられませんでした。残念でした。来年度は出来るだけ参加して、心の糧を貰いたいと思います。●今回の会で気付いた事●【悩む事は成長のチャンス】これは毎日思い悩む私に対するエールのように聞こえました。私は昔から友人に色んな話をしていました。「何故人間は存在するのか?」「何故人間は争うのか?」「何故私にさえ判る愚かな色んな事を、 大人は続けて行くのか?」「何故人間は信仰が必要なのか?」大抵の人に「考え過ぎだよ」「どうしてそんなに考えるの?」「バカみたい」「暇だからだよ」と言われました。それでも考え続けて来ました。今も考え続けています。考えて来て良かったと、今ははっきり言い切れます。色んな事が段々見えて来るようになりました。人の心の動きも、世の中の事も、私なりに理解出来るようになって来ました。それでも、この先もきっともっともっと見えてくるものがあるんじゃないかな~と思います。だって未だに悩み続けています。つまりこれからも成長するチャンスがあるんですね~。穴だらけの私ですから、もっと成長してくれないと困るんです(- -ヾ成長したいです。【子供の時期に充分子供でいられたか】―子供の時期に我慢して子供でいられなかったら大人になっても子供の自分を引き摺ってしまう。―私が話をしていると、いつも子供時代の苦しかった事や悲しかった事や辛かった事を思い出してしまうのはこれに違いないと思いました。子供時代を思い出すと我慢していた事だらけです。誰も言ってくれないですが、健気にそれなりに頑張っている子でした。きっと誰にも認めてもらえず、受け入れて貰えなかった子供の私が未だにグルグルと一箇所を廻っているようです。どうしてあげたら子供の自分が成長するんだろう?【思い込みが不安を生み出す】―それぞれの世代が、時代や家庭から貰った価値観で幸せ感を持っているので、幸せ感がすれ違ってしまう―良かれと思う事が、時代により、家庭により、個人により違うのだが、自分の幸せ感を押し付けてしまう事で相手の幸せ感を壊してしまう。もしくは押し潰してしまう。そして互いの不安を生み出してしまう。↑上手く説明できません。つまり~~、幸せ感は一律ではないので押し付け合うと悲しみが生まれます。やっぱり上手く説明できません。【自分らしく生きる。を見つける】娘が結婚はしたくない、子供を産みたくないと言いました。お母さんを見ているととても大変そうだから。と言いました。そうそう、赤ちゃんを育てる時は自分の事なんか全然出来ません。でも赤ちゃんは大好きです。大変なのは幼児期と思春期でしょうか。大変だったので、大変じゃないなんて言えないです。でも大変な分、楽しかったり教えてもらったり。今の自分がいるのは子供達のお陰です。だけど子供達から見たら、大変なだけなんですね。私が幸せにならないと。私が私らしく生きるってどうするんだろう?ああ、今日はまとめる力がないです。夫の仕事が上手く行っていないようです。あせっているようですが、力になれないし。まあ~成る様にしか成らないさ~~♪●娘の新しい皮膚●娘の皮膚と言われているカイマキは毎日娘がいつも着ています。それが、寝る時は布団の代わりになりコタツでパソコンの時は座蒲団になりのオールマイティーです。ですから色は黄ばみ、ボロボロで昨日また修繕したばかりです。ところが先週、私の実家に行って物で埋まった2Fを布団が敷けるように片付けていたのですが何と、殆んど使っていないために黄ばみもせずに真新しいカイマキを発掘したんです!!!もう、すぐにも母に直談判して貰い受けて参りましたよピーの新しい皮膚! デジカメを構えたら逃げ出したのでこのような判りにくい写真になりました。引き戸の陰に逃げ込んだ娘の新しい皮膚である所のカイマキが見えました?た?