カウンセリングの目からウロコ2つ目
一昨日のカウンセリングのウロコの2つ目です。私の母は大きなお寺の長女で、苦労した祖母が母には好きなようにさせていたので結婚まで家事をしていなかったそうです。ふんぞり返っていた父方の祖母に出会うまで母は誰も恐い人がいなかったそうです。高校も大学でも先生も大人も恐くなかったそうで、勿論無謀な父以外の男性は恐ろしくて母には近付かなかったそうです。まあ、並みの鬼姑ではなかったので蛇に睨まれたネズミみたいだったと母はよく言っていましたが、私から見れば母だって立派な蛇の一種でした。(((((^m^)父は明るく元気で単純な人でしたので67歳で他界してしまってからは母は淋しかったのだと思いました。でも母は初めての一人暮らしを楽しんでいるように見えました。劇団四季の会員になり、しばしば東京に行ってミュージカルを楽しみ、友人たちと旅行をして、好きなものをどんどん買い漁り、とても楽しそうに過ごしていました。父が亡くなる時は、癌で3年ほど闘病生活をしていたので覚悟が出来ていたらしく母は泣きませんでした。気丈な人だと思っていたのですが今思えば段々と通販にはまり込みテレビが一日中付いているようになりました。耳が悪くなって来たので大音響でテレビの音が鳴り止まない家になっていました。気ままに暮したい母は私の言葉を望んでいないので私は何も言いませんでした。私が言ったら怒るだろうと思い、何も言えませんでした。それで行く先々にテレビがあって、いつも大きい音を出している事の不自然さを余程淋しいのだろうと思っていたのでした。これは多分今の認知症を悪化させる要因でもあったと思います。おや?と思っても何も言わないのは良くないと今は思います。それでカウンセラーのI先生に母の話をしました。寝ている間もテレビを付けている母の話を。すると先生は自分の心に立ち向いたくない人はテレビを付けっぱなしにしておきますねとおっしゃいました。テレビを付けている事で気持ちが外に向くため自分の心の内を見ないで済むそうです。自分の心に立ち向いたくない人は気持ちが外に向うように刺激を自分に与え続ける。なるほど、幾らなんでも24時間テレビを付けっぱなしにしている母は淋しいと言うより淋しい自分に気付きたくないのかもしれない。自分が弱い事を知りたくない。自分の弱さを知りたくない。母は常識常識と決まりばかりを口に出し、何でも枠で囲って安心したがる人でした。私が母の決まり通りに行動しないのでいつも怒り狂い、否定していました。自分の枠組みに合わない人間は存在を否定するという人間でした。つまり母は、自分の枠組みから外れた人は理解出来ないため存在すら受け入れる事が出来なかったんですね。母は私が恐かったんじゃないかと思いました。だから私を否定するしかなかった。母は許容範囲の小さい人で私を受け入れる事が出来ない人だったのだと思いました。母は心が弱くて小さい人だから強がって他の人を排除して威張っていなければならなかった。恐い人はいないと自分に言い聞かせていた。自分は強いと言い聞かせていた。自分は凄いと言い聞かせていた。先日、夫が母に会って話しをした後に夫が言いました。「お母さんはコンプレックスが強いんじゃないかな」それやこれやが一つになって見えたのでした。あのプライドが高くて気が強くて利己的だった母は実は弱くてコンプレックスが強いので自分の内面を見ないようにしていただけだった。自分の弱さを知りたくないだけだった。自分の小ささから逃げいていただけだった。私の父はおおらかな人だったので母は父を見下しながら、心では頼っていたんだと分かって来ました。なるほど~~~~~~。弱い犬ほど良く吠える。母はそれだったのです。私がそれで昔の母のトラウマから抜け出せるのかどうか今から考えないといけないです。これが一昨日の目からウロコの2つ目です。●ピーのふやけた足●昨日、ピーがゆっくりとお風呂に入りました。そして「見て、お母さん!!」と叫ぶので見ますと、なんてこったい!!!!のふやけた足になっていました。ご覧下さい~~~(((((^m^) ピーの足は細くて薄いです。(うらやましい~) しかも、にゃきこーーーっ!!と広げる事が出来ます。 この角度はカエルの足みたい~~~ヽ(≧Д≦;)ノ!なかなかでしょう?