胎内記憶と横浜胎児生ゴミ事件
今朝の朝刊の一面ににショッキングな見出しが書かれていた。それは、横浜の産婦人科が、堕胎した胎児を、生ゴミとして捨てていたという内部関係者からの告発だった。その産婦人科のあるところは、性産業が発達している地域だ。私の住んでいる、新宿区も性産業が発達している地域ということもあり、中絶手術に強い産婦人科が多い地域だ。今回話題になった、クリニックは、中絶手術に強い産婦人科なのかもしれない。そのために、あまりに日常化したため、どこか感覚がマヒしてしまい。あくまでも、肉の塊という、生ゴミ感覚になっていたのかもしれない。今回の事件は、胎児を人格として、どう考えているのかが、問われているように思う。その、胎児を人格として、捉えるための、興味深い説がある。それは「胎内記憶」である。「胎内記憶」については、100年以上前から知られてはいるが、科学的に立証ができていない。そんな状況の中で、今回の事件と同じ横浜市内の産婦人科医(環状4号線沿いの小泉さんのおじいさんの生まれた所の隣にあるクリニックにいる)が、胎内記憶に関するアンケートを行い、本にまとめている。そこには、5歳ぐらいまでの何人もの子供の言葉が、まるで、詩のように書かれている。そして、その子供の言葉を裏付けるように、母親のコメントが書かれている。おぼえているよ。ママのおなかにいたときのこと著者: 池川明 出版社:リヨン社/二見書房ISBN:4576021532サイズ:単行本 / 78p 発行年月: 2002年 10月 本体価格:1,000円 (税込:1,050円) それを、読んでいると、まだ、生まれていない子供も、既に、意識をもっていて、人を思いやって、生きているようなのだ。たとえば、この本の10ページに書かれている話だが・・・「ママが痛いというから、動かなかったんだ」という、子供のアンケート回答に対し。その母親が、7ヶ月の時、あまりに激しい胎動だったために、お腹を叩いて「痛い、あまり動かないでよ」と言った事があったという。今回の事件で、問題になった、胎児であるが。確かに、いろんな事情があって、生まれて来れなかった命ではあるが、それなりに、記憶があり、親に対し何かを発しているのならば、その人格に対して、それなりに敬意をもって、接する必要があるように思う。理由があって、生まれて来れなかった子供だとしても、ちゃんと、接すれば、それなりに、なっとくしてくれると思う。今回の事件は、たとえ、生まれなかったにしても、既に、死んでしまっているとはいえ、人格を軽視した行為には違いない。今は、思い出せないかも知れないが、もしかすると、自分も胎内記憶があるかもしれない。多くの人は、時間と様々な出来事共に忘却の彼方に、胎内の記憶を置いてきてしまっているだろう。そのために、胎児に対する思いやりが欠けてしまったために、胎児の人格を軽視してしまうのかも知れない。忙しく、めんどくさいのかも知れないが、命に対して敬意を払って取り扱ってほしいものだ。みなさん、胎内記憶って、覚えていますか?