|
テーマ:教育問題(326)
カテゴリ:教育について
自由には、英国的自由と大陸的自由の2つの自由があり、敗戦後持ち込まれたのは後者の大陸的自由であった。 本来、自由と平等は、相反するものである。自由を追求すれば、格差が広がり不平等になる。一方、平等を追求すれば、活動が制限され不自由になる。だから、自由と平等を共に追求することは矛盾なのである。それでも、自由と平等が成立するのは、ここで言う「自由」が、平等を追求するために限定された「自由」だからである。だとすれば、戦後日本において、平等とは反対の方向性を持つ「選択の自由」が認められるわけがないのも無理はないのだ。 「選択の自由」を認めるためには、戦後日本を覆う「平等主義」を打破しなければならない。「自由」と平衡しなければならないのは、「平等」ではなく「公正」である。「平等主義」に囲われた「自由」ではなく、「公正」と「自由」が均衡し、平衡する社会を目指すべきなのである。「頑張った者が報われる」活力ある社会が求められるのであり、そのための自由は、尊重されて然(しか)りだということだ。 《明治5(1872)年の学制頒布(はんぷ)によって、日本は義務教育制度を本格的に導入することになった。19世紀後半のこの時期に、日本が義務教育を取り入れたことは世界的に見てもけっして遅くはない。むしろ明治の日本は、当時としては先進的な教育制度を採用したのであり、その質も優れていたといえる。 明治政府の教育改革が成功したのには大きな理由があった。当時の日本人がすでに教育の価値や意味をよく理解していたという事実である。江戸時代の日本には至るところに寺子屋があって、町人や農民でも読み書き算盤を学ぶことの大事さを知っていた。江戸時代の識字率は、当時の世界においても群を抜いた高さであったといわれている。 たとえ政府が大きな権力を持っていたとしても、義務教育が定着するかどうかは別の問題である。発展途上国のように、かたちだけは義務教育制度が導入されていても、その実を挙げていない国は今でも多い。経済が未発達な国では、子どもは貴重な労働資源であると考えられているからである。たとえ立派な学校を建てて法律を整備しても、親は学校に行かせて読み書きを覚えさせるよりも、家や田畑で子どもを働かせようとする。 その点、日本人は江戸時代から教育の価値、知識の価値を知っていたから、かなりスムーズに義務教育が定着したといえる》(渡部昇一『国民の教育』(産経新聞社)、p. 16) が、「欧米にお附け追い越せ」式の教育が上手く行ったのは、「義務教育制度」のお陰というよりも、日本人の高い教育意識にあったと言うべきだろう。詰まり、今の義務教育制度に拘(こだわ)る必要はまったくないのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.11.04 20:00:11
コメント(0) | コメントを書く
[教育について] カテゴリの最新記事
|