知ってて欲しい話 ~ポーランドと日本 vol.3~
< 現代に甦る二国間の交流 > 平成11年に、ポーランドから「ジェチ・プオツク少年少女舞踊合唱団」が来日しました。 合唱団はヘンリク・サドスキさん(88)から以下のメッセージを携えてきました。 「20世紀の初め、孤児が日本政府によって救われました。 シベリアにいたポーランドの子供は、さまざまな劣悪な条件にありました。 その恐ろしいところから日本に連れて行き、その後、祖国に送り届けてくれました。 親切にしてくれたことを忘れません。…… (合唱団は)私たちの感謝に満ちた思いを運んでくれるでしょう。 日本のみなさん、ありがとう。 」 サドスキさんは「一番大事にしている物を皇室に渡して」と救出当時の写真を託しました。 「孤児収容所を慰問した皇后陛下(貞明皇后)に抱き締めてもらったことが 忘れられない」と話したといいます。 不安なときは、子供は抱きしめられると安心するといいます。 このときの抱擁は、生涯サドスキさんの心に大きな安心感を植え付けたのでしょう。 < あれから70年余りのあと > 95年、兵藤長雄ポーランド大使は、あのときの8名の孤児を公邸に招待しました。 皆80歳以上の高齢で、一人のご婦人は体の衰弱が激しく、 お孫さんに付き添われてやっとのことで公邸にたどりつきました。 「私は生きている間にもう一度日本に行くことが生涯の夢でした。 そして日本の方々に直接お礼を言いたかった。しかしもうそれは叶えられません。 しかし、大使から公邸にお招きいただいたと聞いたとき、 這ってでも、伺いたいと思いました。 何故って? ここは*小さな日本の領土だって聞きましたもの。 今日、日本の方に私の長年の感謝の気持ちをお伝えできれば、 もう思い残すことはありません。 」 と、その老婦人は涙を流しながら言いました。 孤児たちは70年前以上の日本での出来事をよく覚えていまして、 別の一人は、日本の絵はがきを貼ったアルバムと、見知らぬ日本人から送られた扇を、 今まで肌身離さずに持っていた、と大使に誇らしげに見せました。 同様に離日時に送られた布地の帽子、聖母マリア像の描かれたお守り札など、 この日、招待された孤児たちが、大切な宝物としているものを見せあったのです。 *日本大使館は、どこにあろうと日本の領土です。大使館敷地内では 他国は何も手を出せません。小さくても日本の主権を有した領土なのです。 次回は、ポーランド人が示した感謝の気持ち。本日、連発でアップします。 ↑ プログランキングに参加しています、この話で何か感じましたらクリックをお願いします。